蔵書室には昼も夜も無い。書物が痛まないよう窓には重い緞帳が掛かっている為に、日光が滅
多に入らないからだ。博士はそんな一室に閉じこもって毎日書物と格闘している。一冊一冊の本
は重い。その重さは紙の重さだけでは無い。知識の重さであり、知を得ようとする人間の業の重
さでもある。そんなことを思って溜息をついた。博士は己の業の深さは十分覚知しているつもり
だったが、いざ実際に手に書物をとってその罪深さを思い知らされると重苦しい気分になる。ず
っと文字を見つめていると目が痛む、一つの姿勢ばかり取っているせいで身体が強張る。人間と
いう体は書物を読むのには向いていない。
城郭の蔵書室に所蔵されている書物は全て博士が長い時間をかけて自らの手で取り寄せた書物
ばかりである。であるからして、どの棚にどんな本があったかは大体のところ把握しているし、
また大量の書の一冊一冊の概略くらいは大方知り尽くしている。よって、今更此処に篭って書物
を読み漁る益はほとんど無いと言って良い。けれども母が現れた以上篭らずにはいられなかった
のである。
この蔵書室にいる間も、何度か母は博士の前に現れた。ある時は肉体を伴ってはっきりと博士
に触れることもあったし、またある時は母が近くにいることを博士がぼんやりと感覚的に知るだ
けのこともあった。それでも博士は母がこの城郭の何処かにとどまっているのだと確信している
。母の気配を誤ることはありえないと自認している。幽霊などと論理的でない存在については産
まれてこの方考えたことも無かったし、無意識のうちにいないものと片付けてしまっていたが、
よくよく考えてみればはっきりといないとは論証できないのだ。いてもおかしくは無い、否寧ろ
いないほうが不自然だと博士はいまや考えている。論理的でない、まったく整合性にかける思考
である、けれどもそうと考えずにはいられない、何故なら実際に母がこの城郭のどこかにいるの
だから。
今まで興味を持って幽霊について考察したことが無かったので、この城郭にその方面の著書は
乏しい。そのことを博士は今更悔いている。その数少ない書を隅まで読みつくしてみたが、やは
り幽霊実在の証明は出来ない。けれどもいる。確かに存在する。時折博士の頬を撫ぜる手がある
、髪にふれる感触がある、かすかな泣き声が聞こえる。これ以上無い証拠が事実博士には提出さ
れているように感じる。最近は書物で持って存在の証明を調べなくとも良いのではないかという
気がしてきた。何故なら、博士には幽霊たるはずの母の気配を感じるのだから、これ以上の証拠
は無い。大体において、書物から実世界に転用できる知恵を得たためしがない。今回においても
そうであろう。実世界に適応する知識は、実世界からしか読み取れない。書物はあくまで机上の
知識である。
そうは思いつつも博士はやはり頁をくる手を止められないのである。文字を追う、知識を詰め込
むという形式を捨てられないのである。書を読むという行為は博士の存在意義である。不要な知
識こそが博士の本質である。それをやめてしまえば最後、博士は博士でなくなってしまう。今、
幽霊の存在に直面して初めて、博士は文字を詰め込む必要性を感じなくなったのだが、必要性を
失ってしまってようやく博士にとって書物を読むという行為がいかに重要であったのかを知った
。知ってしまった以上やめられない。今や惰性にも近い無為さで不要な知識を脳に埋め込んでい
る。
それに、と博士は思う。それに、この蔵書室を出て行ってしまえばもしかするともう母に会えな
くなってしまうやも知れない。博士が母の霊に対面したのは、例の寝室においてと、それからこ
の蔵書室においてのみである。しかし、寝室での再会は例外ではないかという気がしてならない
。つまり、実質博士が母と遭遇しているのは蔵書室においてのみといっても良い。なれば、下手
をすると此処を出て行ったが最後二度と母に会うことは叶わないかもしれない。博士の優秀な脳
は「母はこの城郭のどこかにいる」と訴えている。城郭内のどこかであるとすれば、此処を出て
しまっても会える可能性は高い。けれども、心がそれを否定する。心が蔵書室から出ていく事を
放棄している。だから博士はここに留まらざるを得ない。
相変わらず文字の上を滑る目は、埃の匂いのする紙を通して、月色の髪を見ている。あの色とい
ったら、まるで溶けてしまいそうな蜜の色である。洋燈の灯りに透かせば、金細工のようにきら
きらと輝いた。母の髪の色は、全く白の髪の色に酷似している。街の女たちにはないあの美しい
色は、博士の脳裏に焼きついて離れない。