あの弟の葬儀の日の記憶はない。
けれど、真っ当な儀礼は出来なかったろうと思う。棺が開けられなければ、私の
国の葬送儀礼としては成り立たないのである。故国では、葬送儀礼とは即ち埋葬
を意味する。棺を開け、中の遺骸に花を手向け皆の手で埋めてやるのだ、棺の中
の死体が人の形を成していなければ出来る事ではない。もしかすれば内々で済ま
したのかもしれない。少なくとも私には参加した記憶がない。
あの教会での惨劇から一週間ほど後の事である。あれからの彼は打ち沈み何かに
思い詰めているようでとても話し掛けられたものでは無かったのだが、その日は
ひどく晴れ晴れとした顔で私のもとにやってきたのだった。彼が上機嫌で言った
台詞を、私は今も忘れられない。
「神様はいるんだよ!どうして弟が信心していたのか分かった、神様がいたから
だ。彼は信じていたんだ、なら僕も信じなくては!僕は改心するよ、これからは
神に殉じて生きてゆく」
嘘だろう、あなたは何ていうことを言うのか、神を信じる?あなたの弟を殺した
神を? 冗談じゃない、ふざけている!
「僕は真面目だよ、真面目に言っているんだ。これからは信仰に基づいて生きて
ゆくよ、神の為に!僕の弟が死んでしまったのは、きっとどこかで意味があるん
だよ、答えは神様の手帳にしかない!」
真剣にそんなことを言っているのか、あなたは本気で弟を殺した神を敬うつもり
なのか、信じられない、信じたくもない、世界が音を立てて軋んでゆく。
もしも神様がいるのなら、あの善良な彼を殺した神様がいるのなら、
世界はとうに駄目になってしまっていたのだ。
その直後に、彼は教会で洗礼を受け僧侶となった。私は儀に参加しなかった。弟
と同じ衣を纏う彼の姿など見たくもなかった。
街に一つしかない教会―――弟が死に、今は兄が祈りを捧げる教会―――を視界
に入れたくないがために、私は引っ越した。街を選ぶのに見るところはたった一
つ、キリストのいない街、教会の無い街、十字架に祈る者のいない街がいい。