この天使の街に暮らす彼は、私に街を案内してくれると言った。この街には秀逸 な観光名所が沢山あるという。私は一も二もなく同意し、感謝の意を述べた。 キリスト教の聖地である此処には多くの聖遺跡がある。神に目覚めた彼には最適 の地と言えよう。通りの随所に教会や宗教彫刻、神像を配した噴水が目立ち、私 を苛立たせた。此処はキリストだらけだ。
まず彼が連れていってくれたのは、カトリック総本山とも言われる寺院である。 コバルトブルーの半球の屋根が空と溶け合ってしまいそうで美しい。壮麗な装飾 の施された建築はどこか危うげで、見ていて飽きが来ない。手前の大広場では、 周囲に回らされた回廊の上から多くの聖人聖女が見下ろす形になっていて、ぎく りとした。―――此処でも警備の神兵がいるのだ。
中には有名なピエタ像があるのだと彼は言った。
私は物見高い観光者だから、(そうあろうと決心していたから)、宗教施設でも 無遠慮に入る。彼は不快な顔一つせずに私を先導した。それが悔しくて、唇を噛 む。私は彼の宗教権威を引きずり落としたいと願っているのに、なかなか叶わな い。
入り口右方に、そのピエタはあった。
モチーフは磔の直後だろうか。白大理石のマリアが架上に死したキリストを腕に 抱いている。聖母は若い………母というよりかは妹や恋人と言われた方がまだ納 得がいくだろう。華奢な体躯が痛々しく思われた。
たいして、キリストの風采は痩せ衰えている。骨と皮ばかりというのだろうか、 触れば骨の感触ばかりが目立ちそうな筋張った腕は力なく垂らされて、キリスト の死を確信させた。容貌だけを見れば、みすぼらしいと形容して何ら問題なさげ な神の子である。だのに、そのピエタには一種人をぞっとさせるような不可思議 な魅力があった。キリストのあまりに無残な死に様、若く美しいマリアの静寂が 、厭な予感を膨らませるのだ―――
(尊ぶべき神の子イエスがかような様にて死しては、人間とてももはや………)
このピエタは不吉な予感をさせる、災いの到来を予感させる、嵐の前の静けさに 似たマリアの沈黙は………
「このピエタはミケランジェロが23歳の時の作品だといわれている。磔にあった キリストを腕に抱く聖母マリアの像だね」
彼の解説に、私ははっと現実にかえった。さらに彼の言葉は続く。
「私見だけど、後年の彼の作品『最後の審判』に出てくるキリストとこのピエタ のキリストの違いは非常に興味深いと思うよ。『最後の審判』のキリストは筋骨 隆々の逞しい美青年として描かれているが、このピエタのキリストは果敢無げで 弱々しい。ミケランジェロの若年期の精神は神の子を悲劇の弱者として描いたが 、成熟して後は肉体的にも完全な力を有し怒りでもって人間を裁く超越者として 描いた。ミケランジェロの内部でキリストが年を経るにつれて存在感を増してい った証拠だね。晩年の彼の作品には神や神の子への恐れが全面に押し出されてい るが、このピエタにはまだ見出だせない」
言葉の意味だけを取れば冷静なように見えるが、口調は熱に浮かされたようだっ た。不審に思って見れば、彼はうっとりとしてピエタに見惚れている。私は彼の 熱烈な言説に、逆に冷静になった。改めて目の前の白大理石像を観察した。なん のことはない、只の彫像である。恐れることなど何もない。私は単なる彫像の、 何をそれほど不吉がっているのか。これは単なる彫像でしかない。
「マリアの表情を御覧よ。神の子イエスを失った静冽な哀しみと諦観に彩られた 、清らかな表情を」
彼の解説に、彼は曖昧に首を傾げた。私にはマリアは安堵の笑みを浮かべている ように見える。
果たして処女懐胎などという異常極まる妊娠をしたマリアが産まれたイエスにど れほど母子の愛情を持てた事か。神に選ばれた子などという大層なものに、一体 どうして母の愛情などもてようか。そんなイエスの母であるということが、どう して苦痛でないことがあるだろう。まして己の信仰の対象にもなりえるという聖 なる御子に、どうやって母の愛情などもてようか。神の子を自分の子として育て る事は喜びなどよりも重圧の方が大きかったはずだ。その元凶のイエスの死を、 マリアはどう捉えたか―――私は、安堵し喜んだのではないかと思う。マリアに とってキリストは重荷だったのではないか。
じっくりとピエタを注視する。マリアは悲しんでいるか、それとも喜んでいるか 。
彼は盲目の目で熱っぽい視線をピエタにおくっている。神に殉ずる彼には、マリ アの笑顔は見れまい、と内心に苦笑した。あの日以来、彼は神に非難の意見を一 言たりとて洩らさない。