人を殺してはいけない。

仮にも人間を名乗り人間生活を送る以上、最低限守らなければいけないルールである。

人を殺してはいけない、それは教えられるまでもなく、人間であるなら誰でも本能で知っている真理 である。

当たり前の事。

人を殺してはいけない。

しかし、何故いけないのか。

殺人行為の何が罪悪であるというのか。

すべての生物は、等しく他の生物の犠牲のうえに成り立つ。何をも犠牲にせずに生きていく事はできな い。

食事とは命を食らう事、呼吸とは酸素の奪い合い。土の上に立てばその足の下には数多くの遺骸が積 みあがり、その事に気付く事もなくまた次の一歩を繰り出す。

生命の傲慢。生きる上での業。













しかし、それは生きている以上仕方の無い事なのだ。

生命を維持するための弱肉強食。生きていく為に必要な犠牲は、別段咎められる事ではないはずだ。 では何故、殺人行為だけがそれ程忌まれるのか。

『もしもあなたに死にたくないと感じる瞬間があるのなら、僅かでも死を恐れる心を持っているなら、 あなたに他人を殺す権利はない。人を殺してはいけない』とは、よく使われる論理である。

ならば僕には人を殺す権利があるということになる。

死を厭わない人間には、そのロジカルは通用しないのだから。













僕はもう、生きる事に飽きてしまっていた。

否。寧ろ早く、死んでしまいたい。

生は辛い。死は容易い。

もうここらで終わってしまっても、いいんじゃないだろうか。

僕はもう、疲れたんだ。

























Something else ――――――― 1st

























「さぁ巷で噂の殺人鬼君、昨夜の標的の味はいかがだったのかな?」



放課後の教室、僕が唯一友人と呼べる男―――桜ノ宮 嬰児は、芝居がかった口調で言った。



「別に。どうも無かった」



僕は答えた。



「おや。おやおや。相も変わらず君は冷たいのだな。もう少し親友の言葉を真剣に聞いてみてはどうだ ね?」



嬰児はおどけた風に言った。

大げさな仕草で両手をあげ、人を食ったようなシニカルな笑みを浮かべる、しかしその笑みに明るいと ころは微塵も感じさせない。

何処か何故か陰鬱な雰囲気を持つ、それが桜ノ宮嬰児。

こいつは万事この調子だ。掴み所が無いというのか、単に変人なだけというのか。

だがしかし、嬰児はただの狂言回しというわけではない。

僕とこいつの付き合いは長い。だから知ってる、こいつの狂言は――世界に対する最上級最大限の皮肉 だ。



「しかしなんだね、僕としても信じられない気分だよ。なんと驚き、今、僕の目の前には今日本に知ら ぬ者はいない連続大量猟奇殺人犯が座っている。これこそ正に奇跡!人の世の気紛れというやつなのだ な」



「――――――なぁ。お前から僕を呼び出したんだろう?まさかそれが僕への用件なのか?」



「まさか!それこそ詭弁だよ。その科白は君の僕に対する侮辱だね。君は何て無神経な事を平気で口に するんだい!僕がそんな非生産的な事をする人間だと思うのかな?答えは否だ。僕ほど能率性と合理性 を愛する者はいないと思うね」



「どこがだ」



「少なくとも君よりかはマシだという意味だよ。そうそう、今日の用というのはそれなのだがね――― ―――なぁ親友。僕は君と僕の間の仲を疑うわけではない、が、親しき仲にも礼儀ありだ。込み入った 用だから一応君に僕の質問する了承は得ておきたい。訊こう、君は僕からの質問に答えてくれるかい? 」



そう言われても、僕にはそれを断る理由は無い。

無言をもって、僕は答えた。



「―――――その無言は応と取ってよいのだと解釈させていただこう。……訊きたい事はただ一つ、君 の例の凶行についてだ」



それを聞いて僕は身構えた。

やはり、という確信。いずれ聞かれることだろうと思ってはいたが、予想以上に嬰児の反応は早かった 。



「亜澄。僕は今まで努めて君の良き友人であろうとしてきた。君のやることには出来る限り理解を示し たつもりだし、時と場合と状況が味方するのであらば君の目的の手助けだってしてきた。僕らは親友だ 、互いにあらゆる心裡を分かち合う唯一の存在だ。しかしただ君の全ての行動を受容するだけでは真の 仲間とは言いがたいと僕は思うので敢えて君にこの不肖狂言回しの心のうちを打ち明けようと思う。僕 はこう考えている――――――今回ばかりは手放しで君の援助をするわけにはいかない、とね。亞澄、 僕はどうしても理解しかねているんだ」



問う嬰児の表情は真剣そのもので。













ああ。

――――――どうして、君は。

そうやって、僕なんかの事に。

そんなに、一生懸命になって。

そんな顔をされたら。

僕は。













「何故、どうして――――――君は、人を殺す?」

何か誤魔化しの言葉を口に乗せようとして――――――やめた。

本気になっている嬰児に、嘘や誤魔化しが通用すると思える程、僕はお目出度くはない。





それに。

僕は、たった一人の友人に対してまで、嘘吐きでありたくはない。

狼少年のただ一人の友達。

彼の真実を見抜ける者に。





「答えてはくれないだろうか、親友。僕にはわからない事だらけだ。僕の目に世界は不可解に満ちてい るんだよ。僕の目は君の心の襞まで見通す事は出来ない。君が心に秘める全ての事は、君だけの負担に なる。……僕は、ただほんの少しだけ、君の善き理解者になりたいと思う。思っているのだよ、真に、 これだけは誓って言える。だから教えてくれ。

君は、何故、何を思い、何を理由とし、何を目的として、人を蹂躙し、殺し尽くす?」



嬰児の表情が、僅かに歪んだ気がした。

細められた黒い目に浮かぶ色は、落胆。













――――――僕はまた、君を。

何度も、同じ過ちを繰り返して。

君が、そんな顔をするいわれは、

欠片も、微塵も。



また、君が。

壊れるのは。

それだけは。













最悪の事態を避けるため、僕は、からからに乾いた唇をこじ開け、言葉を紡ごうと――――――



























と。









バンッ!!



突然、教室の扉が元気よく開けられた。

その音に、僕らの間にあった尖った空気が霧散する。

派手な音をたてて、扉は開けるためではなく叩きつけるためにあるとでもいいたげな、扉に対する思い やりの一雫も見当たらない戸の開け方。

こんな、扉を屈従させるような真似をする奴を、僕はただ一人しか知らない。

そう――――――葉菜 四兎子。



「やっほー!あず君さっちゃん三時間ぶりだよっ!んん?何か空気悪いよー?どしたのかな??」



扉の征服者は紺のセーラーを着ていた。本校指定の制服である。

セミロングの髪の毛は軽く脱色された赤色。日本人じゃない、いや最早人間とも言い難い髪色だと思う 。

大きな瞳の年令不相応に無邪気な色が私的に好印象。

この異様な女子高生、名を葉菜四兎子という。

姓をはな、名をようこ。



「黙らないか、葉菜四兎子。僕は貴様に用は無いのだ。さっさと消え失せろ」



嬰児は不機嫌そうに言った。

そうだった、こいつは何故か葉菜が嫌いなのだった。



「つめたー!!それひどくない!?態度が氷点下だよ凍ってるよー。ふんだ、いいもんねー!あず君 に癒してもらうから!」



ちょっと待て。いつ僕がおまえを癒してやると言った。



「ねーあず君。さっちゃんがいじめるんだよー。よーこ悲しくて泣いちゃうよ?兎は寂しいと死んでし まうのです」



喋りながら四兎子は僕にしだれかかってきた。こいつは嬰児の射殺さんばかりの殺光視線に気付いてい ないのか。

嬰児の目が徐々に細められて険しいものになってゆく。

これは……ヤバくないか?

と、不意に嬰児の視線が緩んだ。ゆっくり目を閉じて、投げ遣りなため息。



「亞澄。あの話は今度にしようじゃないか。今はその空気じゃない」



おや。

僕は内心驚いた。

嬰児が引いた。

珍しい事もある、と思う。エベレストより高いプライドを自称する嬰児が身を退く様子など、三年に 一度見られるかどうか。ちなみに僕は生まれて初めて見た。

僕は少し躊躇して、だがしかし嬰児の言うとおりにする事にした。嬰児の三年に一度の奇跡に免じて。



「お前がそういうなら――――――じゃあまた明日にでも」



僕は、何か喚いている葉菜を意識の外に追いやり、何も言わずに部屋を後にした。



























ぴしゃり、と。

背後に扉の閉じる音を聞く。

後ろ手で教室の戸をしめた僕の脳に浮かんでいたのは、哀しそうに辛そうに失望したように目を細める 親友の一つきりの問い掛け。

最初でおそらく最後になるであろう、奴の痛いくらいに重い謎掛け。



『君は、何故、人を殺す?』



――――――明日、僕は答えられるのだろうか。

狂言回しの真実の言葉、

僕の脳髄を鮮やかに突き刺す奴の心よりの呼び掛けに。







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