(獣に群れて生きているくらいなら、いっそ、機械になってしまいたかった)

 その工場にはベルトコンベヤーが張り巡らされていた。上下左右何処を見てもベルトコンベヤーが稼動 していた。灰色の無機質なコンベヤーが、低い機械音と共に流れていく。私は沢山の人と共に一つのコ ンベヤーの脇に座っていた。真っ白な手袋は清潔と言うよりかは無感動だった。リーダーらしき人が機 械的に手を上げると、目の前のコンベヤーに透明プラスチックの箱が等間隔に流れてきた、箱は同じ大 きさに同じ色で、まるでクローンのようだった。私も他の人たちもやるべき仕事は理解していた。私た ちの手元にはダンボールが一つ用意されていて、その中にみっちりと詰められた赤ん坊を、透明プラス チックの箱に入れていくのだった。赤ん坊は丸裸で、ちっとも泣かず、ぐずらず、身じろぎもせず、機 械仕掛けの人形みたいだった。私たちは無造作に赤ん坊を手にとっては箱に詰めていく。じきコンベヤ ーの上には箱入りの赤ん坊がずらりと並ぶ。無言のまま順調に進んでいた仕事だったが、唐突にアラー ムが鳴った。コンベヤーの誤作動のアラームだった。箱入りの赤ん坊に傷がついていないか調べる機械 に、箱が変な形で噛んでしまっているのだった。仕方が無いので私は赤いスイッチを押して一旦コンベ ヤーを止めて、ひしゃげてしまった箱を取り出した。中の赤ん坊は柘榴の果実さながらに潰れてしまっ ていた。売り物にならない損壊だった。私は廃棄のダンボールの中にそれを投げ捨てた。すると、遅ま きながら機械工の男性が走ってきて、目を剥いて「勝手に機械に触るな!」と言った。機械工は、私に 憎憎しげな一瞥をくれて、操作パネルを弄り出した。「いらんところを触られたせいで分からなくなっ た」とあてつけを言って、舌打ちをした。その顔には、心情がありありと描き出されていた、彼の顔は こう言っていた、「これだから、所詮機械女は」。
 再びアラームの音がなって、コンベヤーの流れが再開した。私は所定の場所に戻って箱詰めの作業を続 けた。すると今度はすぐに鐘の音がなった。休憩の合図だった。私は休憩場所がどこなのか知らなかっ たので誰かに教えてもらいたいと思ったのだけれども、回りで同じように作業していた人は皆機械だっ たので、何も教えてもらえなかった。仕方が無いので自分で探そうと目に付いた扉を開けてみると、そ れは外に通じていた。景色が見えた。ブリキ製の東京タワーが、釘の飛び出したビルの向こうに見えた 。空には今にも沈もうとする夕日があったが、その夕日は鉄板を丸く切り抜いて色をつけただけの代物 だった。全てが機械だった。いつのまにか、私は腕をどこかで切ってしまっていたようだったが、切り 口から血が滲むことはなかった。代わりに赤や青のコードが見えた。私は自分が機械女だったことを思 い出した。
 通りを行きかう人々は、人間の顔をしていなかった。たいていの人は、人間の身体の上に狼の顔が乗っ かっていた。男の狼人間はスーツを着ているのが多く、女の狼人間は大抵ぴらぴらとしたスカートを着 ていたが、狼の顔は男女の見分けがつかなかった。狼人間たちは、私のほうを見ると、嫌そうに眉をし かめ、顔を背けて立ち去っていった。その顔にはこんな風にかいてあるようだった。「こんなところに 機械女がいる、きもちわるい」。なんとはなしに、ビルの上でぴかぴか光る電光掲示板に目がいった、 掲示板上に光の粒子で出来た文字が右から左へと凄いスピードで流れていくのを漫然と読み取った。「 今や人間は二極化した。石を投げる者は狼になった。狼になる資格の無いものは機械になった。社会は 狼同士の狩猟の場のようなものである」。どぎつい色の文字はひどく読みにくかった。最後に、一際目 を引く色で点滅したのは、「機械は今や狼の道具に成り下がった」。
 茫然としている私の前には、いつのまにか一人の狼人間が立っていた。スーツを着崩した男の獣は、ア メリカ人のような大仰なジェスチャーで言う。「だって仕方ないじゃないか。(ここで彼はお手上げの 動作を示した)君たち機械は、僕等のような獣になりたくないといったんだ。君たちは、君たちの中の 獣を殺すと同時に、人間の良心まで殺してしまったんだ。あとはもうなし崩し、機械奴隷が君たちの哀 れな末路というわけさ」彼は、機械には慈しむことも悲しむこともできやしないだろう! と言って鼻 で笑った。そういう彼自身は、良心をどこに置いて来てしまったのだろうかと私は疑問に思った。私た ちがそういう会話を交わしている間にも、周囲では狼人間たちが喰ったり喰らわれたりしていた、ある 女の狼人間などは手近にあった石を投げて男の狼人間を打ち殺した。狼人間たちの武器は野蛮な牙でも 鋭い爪でもなく、彼らの手の中に握りこまれた石であるようだった。「ところで、」目の前の狼人間は 大袈裟な身振りを交えながら言う。「君は機械女だろう、僕の靴紐がほどけてしまったから、結んでく れないか」彼の手の内に石が握りこまれているのを、わざとちらつかせながらの科白だった。私は無言 のまま彼の足元に跪いて解けた紐を結ってから立ち去った。苦い屈辱感を覚えていた。
 嫌悪と軽蔑のまなざしを貼り付けた狼人間たちの間を縫うようにして歩くうちに、知らない場所に立っ ていた。そこは荒れ野原だった。乾いた荒野の上に機械の部品が沢山散らばっている野原だった。時刻 は夕刻で、例のペンキを塗りたくった金属製の落日が地面を照らしていた。その野原の真ん中に、機械 人間が一人立っていた。その男性型の機械は手の中のワイヤを操っていた、ワイヤは空の夕日に繋がっ ていた、私は彼が何をしているのか理解した。彼は、ここで夕日をおろそうとしているのだった。ワイ ヤを引っ張って、夕日を空から下ろそうとしていた。それが彼に与えられた仕事なのだろう。私は彼に 近づいていって、「この国の歴史を教えてください」と言った。彼は語った。「ある時、この国に革命 が起こりました。その革命は人間性に深く関わるものでした。急進派は、人はこれから恐れず弛まず石 を投げるべきだといいました。保守派は、人は石を投げるべきではないといって、全面的に人の中の獣 を追い払ってしまい、機械になろうとしました。二派の対立は深まる一方で、ある時、交渉は決裂し、 急進派は狼人間になり、保守派は機械人間になりました。じきに、強い狼人間が弱い機械人間を征服し ました。この権力関係は現在に至るまで安定したままです」。私は重ねて問うた、「その革命で、人の 良心はどのように扱われましたか」。彼は答えた、「良心とは、慈しみ悲しみ愛おしむことですか。そ れなら、良心は、革命の間、見向きもされませんでした。急進派も保守派も自分の中の良心の存在を忘 れました。二派の融和が絶望的になり、人が狼と機械になった時に、良心は死に絶えました。今では世 界中何処を探しても見つかりません」「あなたは、良心を知っていますか」「いいえ、それが何なのか 、今は私も知りません。プログラムの範囲外です」。会話を交わしている間も彼は手を休めなかった。 彼の手の中でワイヤーが手繰り寄せられるほどに、日は沈んだ。彼のプログラムは、毎日決まった時刻 にワイヤーを手繰って夕日を沈めることだったので、彼は手を休めるわけにはいかなかった。旧式機械 特有の油くささが鼻についた。肌は人工皮膚ではなく鉄材が剥きだしになっていた。機械的に動く指先 は日々の作業に磨耗して塗料が剥げていた。彼はぼろぼろの姿でワイヤを手繰っていた。自分が満身創 痍であることに気付いていなかった。彼がスクラップになる日は近い事を私は悟った。遣る瀬無い思い が胸の辺りをよぎった。

(機械になりたいという願いは、救いにはならない、それなら)