ウィトゲンシュタインがまだ幼かった時、彼は自分の哲学体系を記したレポートの束を著名な哲学者に渡して、言った。どうぞこれを読んでみてください、そして見込みがあるかどうか判じてください。もしも哲学者になれなかったら、私は飛行機乗りになります。哲学者はそのレポートを読んだ。それは素晴らしいものだった。世界中の全ての実存や神や他者や世界を包含し、煌めく地平線のその向こう側を髣髴とさせるような、端的で虚飾のない文章の中にとてつもない光輝が埋め込まれているような、そういうものを読んで、哲学者は言った。君は、飛行気乗りなどになって、あたら命を失うべきでない。哲学者になりなさい。世界の鍵を解き明かす、共に、地平を越えよう。
 彼の能力があまりに優れていたので、多くの人は彼を理解できなかった。例えば親しい人たちと夕餉の晩餐を共にしている時でも、脳裏に考察するべき哲学的諸問題が浮かべば、そしてその問題が高度すぎて隣人に理解できないものである場合であれば尚更、彼は深刻な顔で沈黙し、二度とフォークを持たなかった。そういう行為は往々にして団欒の席を困惑させ、周囲の人たちの食事を不味くした。とはいえ、ウィトゲンシュタインは自分の気難しい態度によって彼らに迷惑をかけたいわけでは毛頭なかった。自分が一座に相応しくない態度をとることによって周りの人たちに嫌な思いをさせたと気付いた時、他の誰よりもその事実を重く見て、ひどく慌て、こわばった顔で真剣な謝罪をするのは、他でもないウィトゲンシュタイン本人だった。
 会話をしていても、彼には友人や兄弟が何を笑っているのか分からなかった。笑いどころは、論理的には説明がついても心情的には納得がいかなかった。話をあわせるというのもよく分からなかった。自己の主張を通せば角が立つ、相手の主張を受け入れれば自分に嘘をつくことになる。その匙加減が難解だった。調子の外れたことを言って相手を呆気に取らせたり、また不愉快な思いをさせたりするのが、申し訳なかった。会話に折衝点を見出せなかった。前向きに言葉を交換しようとすればするほど、相手をやり込める結果になる。正しいことは、必ずしも正当ではないのだということも不可解だった。正しすぎる助言や意見は、相手の機嫌を損ねることにもなり、円満な会話にならなかったからだ。加えてウィトゲンシュタインの性格では、惰性で続く無駄な言葉のやり取りは出来なかったが、しかし会話とは本来そういうもので、故に彼には意思の疎通は絶望的だった。
 頭脳の明晰さゆえに誰も彼の言葉についていくことは出来なかった。バベル・タワーの崩壊は彼にとっては他では見られないほどの大きな亀裂を生み出していたからだ。彼の言葉は、真剣に語れば語るほど、誰にも通じることはなく、無為に空気を振動させ、虚空に消えていった。「誰かに語ることの出来ぬ思想など、無いも同然」と後年彼は著書に記す。誰とも共有の出来ない考えばかりを引きずりながら、存在しないも同然の思想を抱えて、たった独りで立ち尽くしていた。彼は孤独だったのだ。誰かと手を握りたかった。挨拶が交わしたかった。
 彼は哲学者だった。最初に、君は哲学者になりなさい、と言われた時に、全ての戦闘は始まっていたのだ。日々独りで戦う、誰にも理解されない戦闘を、戦場は彼自身の頭の中にあり、武器は自らの言葉だけで、勝っても得られるものなどなかった。それは永遠に孤独な戦いだった。誰も助けてはくれず、いつ終わるとも知れなった。彼は哲学者になることを選んだのだ。当時自殺志願と揶揄された飛行機乗りになることを選択しなかった彼は、哲学者として、寂寥のサン・バルテルミーに立つことを選択したのだ。それは長い戦いだった。辛く、かつ、寂しい戦いだった。
ウィトゲンシュタインの哲学は、冷徹で論理的だった。世界は言葉で出来ている、そしてその言葉は、今までも今もこれからも、永遠に、二度と、交わらない。私達は、生まれて死ぬまで、バベルタワーに阻まれて、永遠に孤独だ。永遠に。私達が見ている世界はそれぞれが用いる言葉によって再構成された世界に過ぎず、客観的で普遍的な世界を皆が同じように見ることは出来ない。そして、言葉は六十億に分裂している以上、私達の世界は、交わる機会を持たない。ある批評家は、ウィトゲンシュタインの築き上げた哲学観をアイスバーンのようだと例えた。通常人の生きている雑多で粗野なごたごたした地面の上ではなく、彼は独り、アイスバーンのように隙のない冷たい世界に生きている。彼の哲学は素晴らしい、けれども、孤高の哲学だ。我々のような一般人には、まるですりガラス越しに眺める外の風景のように、彼の生きている世界は把握不可能だ。
そんなウィトゲンシュタインには、けれどもたった一人、友人が居た。彼は特別な才能を持っていたわけでも、特別頭の回転が速かったわけでもなく、凡庸な、だが穏やかで人の良い性格をしていた。ウィトゲンシュタインは彼を自分に対するよりも熱心に、誠実な態度で、接した。その友人が、君は寂しすぎるねと言ったことがあった。
君は、とても難しい事を考えているんだね。僕には難易度が高すぎて、君の考えている事を理解するのは、とても無理だ。でも、君の心なら、君が思っていることや感じていることや、そういうことなら、僕にも少しは分かるんだ。分かるつもりなんだ。君は、厳しい世界に生きているんだね。冷たい論理で構成された世界で、たった一人で立っているんだ。僕はそれを見ていると、哀しくて、辛くて、とてもやりきれない気分になる。君は自分にも他人にも厳しいから、きっと泣き言なんていわないんだろうけれど、見ていると、僕には君の悲鳴が、聞こえない悲鳴が、なんとなく聞こえてくるような気がするんだ。辛いね。寂しいね。君は、強い人だ。
二人で旅行をしたことがあった。ウィトゲンシュタインの兄弟の所有する静かな湖畔へ向かった。冬に北上するという天邪鬼な提案が特に二人の気にいったのだった。無類の音楽好きだった二人は、幾枚かのレコードと、バイオリンとを抱えて、北上した。冬の景色は全てが凍っていた、灰色の重苦しい雲、何もかもが冷気を含んで切るように冷たく、露出した頬は小さな刃物で傷つけられてでもいるようにちりちりと痛んだ。自然から拒絶されているようだとウィトゲンシュタインは思った。別荘の近くには余り大きくはない湖があって、もしもまだ凍っていなかったら舟を出して冬の空気を満喫しようと相談していたのだったが、とても無理だった。湖は分厚く凍っていて、氷上を歩いても穴も開かなかった。ウィトゲンシュタインは少しばかり落胆したが、彼のたった一人の友人は、にっこりと笑って、素晴らしいじゃないか! と言った。こんな風に凍て付くような氷ははじめてみたよ。そして、荷物からバイオリンを出して、こんな提案をした。もしも君が良かったらだけれど、ここで少し、歌でも歌ってみないかい? 幸運なことに、僕の手元にはバイオリンがある。君がこれを弾いてくれたら、僕は歌うよ。君の奏でる旋律は、この真っ白い氷の世界で聞いたら、さぞ映えることだろう。
あまり乗り気ではなかったウィトゲンシュタインにバイオリンを握らせ、彼は氷の上に進み出た。足の下には、透明に凍りついた湖があって、彼は歌いだした。ウィトゲンシュタインは、手袋をはずし、かじかむ手でじかにバイオリンを奏でた。あっという間に指先は真っ赤になった。歌う彼の顔も、寒さで痛々しいくらいに紅潮している。寒さで震える手で弦を押さえるのはひどく困難だった。必死で自分の指を叱咤しながら音を奏でていると、徐々に感覚が失われ、臨界点を越え、不意に寒さが感じられなくなった。すると、バイオリンの音は、厳冬の澄み切った空気に、美しく、天上の音楽のように、聞こえたのだった、はっとしてウィトゲンシュタインは横を見た、友人は一心に歌っていて、その顔は凍傷の子供のように真っ赤になっていた、寒さは痛いほどだろう、それから耳を済ませた、バイオリンの透明な音色と、歌声の高貴な調和、天使のような、天上のような、ここではないどこかで奏でられる音楽のような、美しい音楽は、氷の中に閉じ込められて、理由も無く懐かしい音だった。何もかも真っ白に輝く氷の世界で、澄み切った空気の中に響く音楽は、今まで聞いたことのないほど、美しく、涙が出そうなほどの歓喜に満ちていた。その喜びは、どうしてだろうか、懐かしさに似ていた。もう二度と帰れないだろうと思っていた家に辿り着いたような、死んだ母に抱きしめられたような、何かそういう、痛々しいような郷愁だった。ウィトゲンシュタインはバイオリンを弾き続けた、音はどんどん高調して、高く、伸び上がるようになった。指の感覚はとうに失われていたし、手袋をしない手は寒いも痛いも通り越して何も感じなかった。全て凍ってしまうかと思われるくらいだった。アイスバーンの上で、自分は今、たった一人の友と、天上の音楽を奏でている。嬉しさで零れる涙をとどめることは出来なかったし、とどめる気もなかった。流れ落ちる涙は、頬の途中で凍りつき、顔面で氷となった。涙を讃えるまつげは凍り付いて、目を閉じるのも困難だった。それでも涙は幾らでも出てきた。ウィトゲンシュタインは泣いた。声も出さずに、バイオリンを弾きながら。全ての涙は氷となった。美しかった。何もかもが、美しすぎて、あまりのことに、言葉が出なかった。