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とても不思議に思うなぁ。変じゃないか、皮膚の中に血や肉や臓器がひしめいていて、それをきゅっと押し込めている皮があって、その表面だけを見ているとまるで立派な意思を持った自由な生き物を見ている気になるんだけれど、でも、おかしいじゃないか。一皮向いたら血と肉しかないんだ。そこいらの鼠の皮を剥いでもおんなじものが詰まってる。そんな血と肉の塊が、一丁前に服を着て、学識があるような顔をして、ステッキをついたりしながら歩いてるんだ。変じゃないか。不思議じゃないか。どんなにつくろっても百年たったらみんな骨だっていうのに。みんなせかせか歩いて、台所に立ったり、仕事場で働いたり、厠で用を足したり、ギャンブルをして大笑いしたり、映画を見て感涙したり、しているんだ。あの時以来少し調子の狂った俺の頭に、疑問ばかり浮かんでいたんだ。みんなどこへ行くんだ、何がしたいんだ。窓からじっと覗いていると、頭から魂だけがぽかぽか浮かび上がって、俺の背中ごと世界を見渡してるみたいな、そんな変な気分で、俺は孤独を噛みしめた。かめばかむほど味の出てくるガムみたいに、何度も何度もじくじくと味わって、その度に鮮烈になってくる味を、しっかりと憶えたんだ。
 そういう時に、一度、窓の外で喧嘩があった。喧嘩って言っても子供の喧嘩だ、一頻り怒鳴ったり地団太踏んだり叩き合ったり泣き喚いたりする声が聞こえた後で、随分たってから、すすり泣く声が聞こえてきた。俺は興味をかられて窓の隙間から覗き見すると、子供が一人、たった一人で泣いてた。顔をぐしゃぐしゃにして、手で何度も目の辺りをぐいぐいぬぐいながら、時々しゃくりあげて、細っこい足で地面に踏ん張ってるんだ。針金みたいに細長い手足で、ちょっと力を込めたら折れちまいそうなのに、足を踏ん張って、手を強く握って、一人で泣いてるんだ。それを見たら急に、いつも変に冷静でさめた気分だったのが急に現実感が出てきて地面に足がついたような気がしたよ。頭の上三十センチのあたりをさまよってた心がそれを見た途端にぐんと身体の中に収まった。心細くて寂しい気持ちだったのが、不意に力が湧いてきて、目の前に視界が広がったような感じだった。そこに子供が居て、あんな小さくて細っこい身体でしっかり踏ん張ってるので、俺はそれを見ていて、切ないけれども懸命な心になった。それで、机の上を見たら飴玉が一個あったから、それを手にとって、これをあげたら泣きやんでくれるだろうか、俺で泣き止ませてやれるだろうかと思って、隙間から投げようとした。それなのに、投げようとしたその時になって、また元のさめた心が湧いてきた。また頭の上から自分の背中を見ているような視界が戻ってきて、背中がどんより重くなって、それで俺は疲れきった瞼を閉じた。泣きたかったが泣けるほどの潤いが心になかった。乾燥しきっていると思った。子供がやっぱり泣いているが、もうさっきほどの躍動を俺に与えてはくれなくて、それは単なる耳障りな音の連なりに過ぎなくなった。変にしゃくりあげてるのも不愉快だった。俺は窓を閉じて、壁に背中をつけたまま、身体の力をだらりと抜いてもう何もかもがお終いなのだと思った。外で泣いてる子供の声なんか、所詮、他人の立てる音だったんだ。世界にたった一人自分しか居ないようなあの孤独な感じがまた襲ってきて、ひどい脱力感、虚脱感、俺は凍った湖みたいな寂寞の上に舞い戻ってきていた。毎日ずっとそんな風だったんだ、俺は生きてるのか死んでるのか自分でもさっぱり分からないまま、本当にずっと、そんな風だったんだよ。