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 栄さん。正直なところ俺はね、おまえはきっと長生きしないだろうと思ってたよ。すぐに死んでしまうだろうと思っていた。だって栄さんは、生きている俺とはとても違っていて、いつも死人や彼岸と近しくて、俺達は余りに違っていたものだから、それでおまえはきっと子供のうちに早死にしてしまうんだろうと思っていたんだ。子供って言うのは誰でも少なからず神がかったところがあるものだが、栄さんはきっとそういうところを失わないうちにこの世から消えてしまうのだと思っていた。だから俺のほうが先に死んでしまったのはとても意外だったんだよ。
 私も、兄さんが死んだのは意外でした。あまりにぽろっと簡単に死んでしまったので、夢か何か、間違いでもあったんじゃないかと思案しました。人間はちょっとしたことですぐに死んでしまうのだなあと学んだのはあの時のことだった。
 おまえはいつも、右の道に立っていたんだ。俺は左の道からそれを見つめていて、羨んだり憧れたり憎んだり危ぶんだり蔑んだりしていた。俺は、多くの大人とおんなじように、暗い道で辛抱して歩いていたよ。道の両脇は断崖なんだ。落ちないように、細くて崩れやすい道を、灯りも無いまま、足先で探りながら歩いてた。時々右の方から漏れてくる光を浴びて、懐郷の念を掻き立てられたりして、そんな時は子供ながらに、随分辛かった。おまえに角のたった物言いしか出来なかったのはそのためだ。右の道で、優しい光の中を、俺達の痛みなんて知りやしないお前がゆうゆうと歩いていくのを手出しも出来ずにただ見物しているだけなんてのは、心の狭い俺には耐え難い苦痛だったんだ。俺の弱さを許してくれ。
 道は西へと向かっていました。右の道を行く私には、いつも、夕暮れの美しい落日で満たされていたのに、左にいるあなた達にはそれが彼方にうっすらと見える光明ほどにしか見えないようだった。あなた達が、重い身体を引きずって、ただ耐え忍びながら前へと這っている様子を見て、まるで巡礼者のようだと思いました。そうでなければ、葬列にも似ていると。
 そう、そうだ、葬列だ。そのたとえがぴったりだ。俺達は、一度も日の光にあずかることもないまま、夕焼けに向かって、漕ぎ出していくんだ。毎日一歩ずつ自分の死へと着実に近づいている。毎日陰気な葬列に参加して、火葬場に向かうんだ。それは、自分の死体を荼毘に付す為なんだよ。
 夕日の光は、懐かしくて優しかったです。けれども、私は甘い夕暮れの光の中で、毎日死ぬことを思った。もともと彼岸に生きる身の上です。今更死んでも変わりない。私は帰りたかった。左の苦行の道を歩む兄さん達が私の夕暮れの光を見て懐かしさの念に打たれていたのと同じように、私もその光の中で、帰郷したいと思っていた。家に帰りたかったんです。今だって。なのに、先に兄さんの方が故郷へと旅立ってしまった。恨めしく思いました。
 そうか。そう言って兄さんはどこからともなく煙草を取り出して火をつけました。煙はゆっくりと空へ昇っていきます。こんな紫煙でさえ帰るべきところを知っているのだと私は思いました。
 栄さん。
 はい。
 栄さん。俺達は、孤独だったなあ。大勢が同じ道を歩んでいるのに、誰一人口もきかないで、黙々と西へ歩いていたんだ。つまらない人生だったなぁ。バベルタワーなんてくそくらえだ、そんなの頭から無視してしまって、言葉を交わせばよかった。誰とでも交流すればよかった。栄さん、おまえとも、仲良くすればよかったね。お互い変わらず苦しい身分だ、手を繋ぐくらい、挨拶するくらい、それくらい、すればよかった。
 兄さん。
 おまえは、後悔してはいけないよ。一人で布団の中で忍び泣きなんかするのは、寂しくってやりきれないから。泣くなら、誰かの胸の中で泣きなさい。腕に縋りつけば良い。私達は、独りで生きているのではなかったんだ。独りなんかじゃなかったんだ。
 にいさん。
 俺はね、死んだ日に、魂だけになって、山の峠の上に立ってたんだ。そこから村が一望できた。俺達の家や何かが、全部見えたよ。もう時刻は夜で、空には星が瞬いていて、それで家々には灯りがともされていた。俺は峠の上で、たった独りで、村の灯りを見つめていたんだ。優しい橙色だった。美しい光景だった。おおよそ世界に存在しうる中で、もっとも素晴らしいものだった。俺はそれを、峠の上で、一人ぽっちで眺めてたんだ。一人ぽっちで、眺めてたんだ。