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 私は降りしきる砲弾の雨の中を縫うようにして走っていました。右手に一升瓶を持ち、左手に鳥篭、その中には可愛がっていた文鳥が、時折美しい声で鳴きました。一升瓶の底には、数センチだけ、お酒が入っていました。たかが数センチの酒の為に、命に関わるような逃避行に一升瓶を連れて行くというのも、妙な具合だとは思ったのですが、かといって捨てるのは御免です。数滴だって酒は貴重なのだ、捨てるなど論外だと思いました。
 私の右側を、妻が走っていました。私と違って出来た人間です。当座の下着や食糧などを風呂敷包みで抱えていました。必需品です。夜なのに空が薄明るいのは、街が火事になっているからです。砲弾は地面に落ちて大きな音をたてて爆発し、その時飛び散った火花で、家が燃えます。ごうごうと燃えます。不謹慎ながらとても綺麗だ。見惚れたいのだが如何せん時間がないので走っています。
 暗い道の中をずうっと走ってきました。街燈が無いので、また近隣の家から漏れ出る灯りも無いので、真っ暗です。この周囲も皆避難したのだろう。それから灯火管制もある。一寸先は闇と言うか、鼻をつままれても分からぬというか、まさしくそういう感じだと思いました。何度もこけそうになります。妻が一度転びました。でも一人で立ち上がって、きっと勇壮に、また走りだしました。私は正直なところ、もう走るのは勘弁だなぁと思っていたのですが、横の顔を見るとつい言い出せません。
 ずうっと坂を上がると道は二手に分かれて、右は学校や病院に、左は土手の方に通じています。手の中でちゃぷちゃぷ音がするのを、とても飲みたい。右は薄ぼんやりと明るく、左は真っ暗です。どちらを曲がれば良いのか分からない。妻も立ち止まりました。私達は顔を見合わせました、どちらも当惑したような間の抜けた顔をしていた、それで妻は言いました。あなた。ねぇ栄さん。
「どっちに行きましょう」
 右は明るく左は暗い。その頃は、毎日空きっ腹を抱えて、私は文字通り夢幻を見ながら生活していたものです。