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 私が”He has a pain.”と言ったときに、この言葉は、泣きたいほど真剣だ。語る主体の私は、他人である彼の痛みを想像して、同情している、それがこの言葉だ。彼は痛みを抱えている。その傷は私の傷ではないので、私は少しも痛みを感じない。けれども、目の前で彼の身体が傷つき、彼は脂汗を流して患部を押さえながらうめいている、それを見ていると、私まで痛いような気がするのだ。同じ痛みを共有しているような気分になるのだ。それは単なる錯覚に過ぎないかもしれない、ただの幻痛かもしれない、気のせいなのかもしれない。私達は依然として別々の人間であり、孤独で、武器を構えたった一人荒野に立ちすくんでいる。けれども、痛いような気がしてしまう。今目の前で苦しんでいるのは、一介の敵に過ぎないのに、それでも私まで痛い。
 私は孤独だが、敵兵と、手を繋ぐことも挨拶することも出来る。存在しないはずの傷が痛むのだ。
 空を見上げて、美しい月を見て、ピンセントは「きれいだね」と言った。ウィトゲンシュタインは、「そうだね」と言い、「ほんとうに、きれいだ」と言った。別々の人間が、同じ物を見て、同じ風に感じて、お互いに共感し合える、これは本当に、奇跡的なことなのだとウィトゲンシュタインは思った。まるで最初から同じ人間だったかのように。一人の人間だったかのように。