父がわざわざ敵国の国歌を歌ったのには訳がある。詩人あがりの貧弱な飛行機乗りは、仲間内ではあざけりの対象だった 。
 習慣かジンクスか、飛び立つ前に一杯のホットチョコレートをいつも飲んでいた父は、その日同じ飛行機乗りが父の中身 の入ったコップの中につばを吐きかけたのを見て、今日が自分の命日になることを知った。この日、生きて帰ってくること の出来た全ての飛行と同様に一杯のホットチョコレートを飲めなかった自分は、今日間違いなく死を迎えることとなろう。 そうい う父の確信は、実際的中し、その日の夜に美しい星空を背景に墜落する飛行機の中で彼は敵国の国歌を歌うこととなる。今 日私が永遠の眠りに就くのは、敵国が卑劣な攻撃を加えてきたせいではない、そうではなく味方であるはずの飛行機乗りが 詩人上がりの仲間へと侮蔑を表明するために彼の飲んでいるコップの中へつばを吐き捨てるという愚劣な行為のせいである 。私は敵の攻撃の故に死ぬのではない、同僚の馬鹿で無知で考えなしな行動のせいで死ぬのだ。父は思ったことであろう。 私は殺される、それも敵にではなく、味方である同僚の飛行機乗りに。死と隣り合わせの飛行機乗りにとって、ジンクスは 、ただの迷信ではなかった。その日の天気予報や自分の乗る飛行機の機嫌と同じ程度には当然の前提だったのだ。
 そういう思いが父を敵国の国歌を歌うという行動へと駆り立てたのかもしれない。自分は最期の瞬間、敵国よりも同じ国 に生まれ同じ職業に就いた仲間を恨んでいたのだと、父は敵国の国歌を歌ったのだ。高らかに、敬愛の念でもって。かよう なクズの生まれる私の国とは違い、敵対国はなんと豊かで思いやり深くまた勇敢であることか。