少年パトリックの、たった一度の過ちだったのだと思う。色々と思い返してみても、後にも先にも、あれ以上の失態を したことはない、私は一時の思いつきと少しの好奇心とで身を滅ぼし、エデンから追放された。
 あの時興味なんて起こさなければ良かったのだ。馬鹿な私は、あるとき棚の上にある旧式ラジオを見て、ほんの僅かの 好奇心を起こした。あれをつけてみたい。まだ音は出るのだろうか。外では、世界では何が起こっているんだろう。ラジ オのトランジスタを通して私は世界を知りたいと願った、愚かなことに。これまでの人生で何か間違えた瞬間があるとし たらあの時だ。魔法使いが過去の誤ちをひとつだけ正してくれるというなら、この瞬間のやり直しを求めたい。知りたい という好奇心は罪だ。私は満足していたらよかった、あの充足したエデンでこれ以上の興味なんて起こさなければ良かっ た。
 一度思いついた幼稚な企みはもう止まらなかった。私は床で毛繕いをし合っている鼠の夫妻をそろりと跨ぎ、壁に止ま ったまま居眠りをしているカブト虫を横目に見ながら、棚の上に手を伸ばした。木で出来た、教会のオルガンみたいな形 をしたラジオにはつまみがついていて、それはまだ本来の役目を果たしてくれそうだった。蛇が誘惑していた(知恵の実 を食べよ)。イギリス庭園中の動物達が私の指先に注目しているのを感じた。動物達の、突き刺さるような、諌めるよう な、否定的な眼差しが注がれているのを、背中に感じた。けれどもその程度のことでは怯まなかったのだ、子供だった私 にはそこでやめておくという分別なんて無かった。私は手を伸ばし、精一杯背伸びをして、ようやく触れたつまみを、ひ ねった。
 その瞬間のことだった。ラジオのある棚の上の窓の向こうがビカリと光って、凄まじい轟音が響き渡った。硝子がびり びり震えて、地面が揺れた。凶暴なオレンジの光に目が眩んで、私は目を閉じた、何かが庭に落下したのだということが 薄っすらと理解できた。
もう恐慌状態だった。動物達は普段の落ち着きをなくして一斉に騒ぎ出し、壁に激突して血を流したり互いに走りあって 衝突したりして沢山死んだ。私は生まれて初めて庭に何かが落ちてきたという異常事態に気を取られていて、次々壁に頭 を打ち付けて死んでいく動物達に構うような余裕も無かった。衝動的に走って庭に出た。いつもなら小さな昆虫を踏み潰 さぬよう足元に気をつけて歩くところを、そんな気遣いなんて思いもよらず、乱暴に走ったせいで蟻と蜘蛛と蜥蜴を踏み 潰した。阿鼻叫喚の屋敷を走りぬけ、私は庭に出た。大きな落下音の正体は、庭の真ん中に落ちていた。戦闘用の小型飛 行機が墜落し、爆発していた。
飛行機は火薬の類を積んでいたようで、時折小さな爆発を繰り返しながらとてもよく燃えていた。火達磨の飛行機の下に 、下敷きになった牛が見えた。火花に興奮した馬や羊が炎に飛び込んでいった。肉の焼ける悪臭が周囲に漂っていたのだ が、多分そのにおいの元は、牛や馬や羊だけでなく飛行気乗りの人間も含まれていたと思う。その時私は戦うための機械 を初めて見たのだった。くさくて、不恰好で、デリカシーに欠けている。それは誰かと何かを殺戮する為の機械だった 。
真っ黒な煤煙を立ち上らせ燃え上がる飛行機を見ながら、私は、屋敷の方から何かの音楽が聞こえるのに気付いた。それ は、先程スイッチを入れたラジオから聞こえてくるようだった。その音楽は、勇壮なトランペットの鳴り響く、生まれて はじめて聞いた軍歌だった。