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 父の死んだ次の日、舞台に立った母は、称揚歌を歌わなかった。代わりに叫んだ。イギリス人に呪いあれ。仲間の飲み物に つばを吐きかけるような最低の人種は、きっと百歳まで生き残る。具のあるスープを飲む為に仲間を売るような連中よ。
 銃後で稼ぎを得る為に、母は人心高揚の軍歌や戦争称揚歌を歌うようになった。彼女が得意としていたのは淡い片思いや澄 み渡った空や甘い夕暮れや咲き誇る薔薇や、そういう少女めいた諸々の歌曲だったのだが、いつまでも花畑の中心でうたた寝 をしているような気分でいることの出来る時勢ではなかった。サン・バルテルミーの真っ只中に放り出されて呑気に恋を歌う ことは出来るものではない。
 私のエデンが破壊された日も、父が墜落死した日も、母は称揚歌を歌っていた。そして唐突に気付いたのだ、息子を残忍な 世界に追い込み夫を破滅に導いたのは自分だったことに。母は歌った。ラジオから流れる軍歌で飛行機が落ちる世の中だ。は っと後ろを振り返り初めて自分の歩んできた道が築き上げた死体の山で出来ていたことに気付いたのだ。
 母はいとも多くの飛行機を地面に叩きつけてきたのだ。イギリスで、フランスで、ドイツで、スペインで、土の上にも海の 上にも、多くの飛行機をその歌で突き落としてきたのだ。
 殺す為の道具は、剣や銃だけではない。もはや母には、私は誰も殺していないという言い訳は効かなかった。被害者のよう な顔をしている全ての人間は加害者だ。何も知らない無邪気なふりをしながら手榴弾を投げ続けるような厚顔で無神経な真似 は、母には出来なかった。
 一リットルのガソリンを飲み干して自殺してしまったのも、無理ないことだっただろう。