幼少時代、言葉を交わすまでも無く、母の考えていることが分かっていた。瞑った目の下で何を思っているのか、私を見 る目の中にある感情の名前や、花に水をやる手が抱いている静けさや、スープをかき混ぜる手つきの中にある穏やかな心や 、そういうものが私にはまるで呼吸するのと同じ理屈で把握できていた。
 おなかが減るタイミングが一緒だった。眠くなるタイミングも、目の覚めるタイミングも重なっていた。美しいと思う空 が同じだった。楽しいと感じる瞬間が同じだった。母が怒ると私も怒ったし、母が泣くと私も泣きたくなった。人と人の間 に当然あるはずの隔てはどこにも見当たらなかった。当然のように同じ景色を見て同じ心を共有し、同じ世界に生きていた 。
 言葉を交わすまでもなく、私と母は一つの生き物だった。皮膚こそ隔ててはいたものの、意志が一つだった、心が一つだ った、別の生き物である理由なんてどこにもなかったのだ。私は母だった。母は私だった。一つの生き物、同じ血と肉から 出来ていて、同じ一つの意志を共有し、同じ心で一つ事を感じていた。
 今はもう失われた幸福な記憶の断片が、いくつか頭の片隅にこびりついて離れない。その記憶は私に一瞬だけ世界との一 致を体感させてくれるし、また過去の余韻を感じさせてもくれる。その記憶によって私は少しの間淡い幸せを感じることが 出来る。けれども、得らえた幸福の分だけ、周りを見渡した私は寒くなる。今ではもう失われたものを思って、掌から零れ 落ちたもののあまりの多さに、歩んできた道のあまり長さに、道すがら抱えきれずに落としてきた荷物が点々と道標のよう になっている有様のわびしさに、私は取り落としたものがもう二度と手に入らないのを嘆きたくなるのだ。
 日常のふとした瞬間に、立ち上ってくる幸福の残滓がある。
母は手作りのお菓子を作ってくれた。私が外にいる間に愛情込めてつくられたそれは、食べるときまで背の届かない高い 戸棚に隠された。秘密の楽しさを知っていた母は、その日何を作ったのかをけして私に教えてはくれなかった。けれども、 私は戸棚の奥からお菓子が取り出されるのを目にする前に、その日のお菓子がどんなもので、どんな味がするのか、見た目 がどういう風になっていて、バニラがどれくらい香り高く匂っているか、そういうことを既に知っていた。わざわざ母に言 葉で教えてもらう必要などなかったのだ。教えられるまでもなく、私は知っていた。母の目で、母の手がお菓子を作り出す ところを、私は見ていた。
 生きることは忘れることだ。忘れることは取りこぼすことだ。こぼれたものは返ってこない。そういう決まりになってい る。過去から未来に続く一連の時間の中で、私は沢山のものを落としてしまうので、現在の手の中に残るものはあまりに少 ない。それでも立ち止まることは出来ないので私は歩んでゆく。未来へ向かって、記憶を引きずりながら。幾度も幾度も後 ろを振り向く。
 私は永遠の幸福を失った。今ではもう分からなくなってしまった母の意志や心、私の追放された楽園、世界或いは母から 切り離された瞬間以来、私は大海を一人で漂流する旅人のようなものなので、もう帰るところが見つからない。私は私が誰 なのか分からない。