学校をサボり付いてこようとする葉菜を、僕は止めなかった。
普段なら絶対に止めた筈だ。そもそも僕は葉菜の煩さ騒がしさには閉口していたし、それでなくとも 親しくもない人間にべたべたと付きまとわれるのはほとほと御免だった。さして近しくもない癖に仲 の良さを装う人間に付き合うのは面倒だったし、そんな奴に媚びへつらうのは好きではない。無闇に 多くの人間と関わるよりかは一人でいた方が気楽であるし、負担も少ないと思う。
それに、最も言葉を交わす事の多い嬰児と喋る時にほとんど口を開かなかったせいか、 僕は会話が苦手だった。まして二人きりで話すのは苛々するし、どうすれば良いのか途方にくれる 。僕はあまり人間と交わる事を得手としていなかった。
にも関わらず、葉菜を好きな様にさせたのには幾つか理由があったと言える。
一つには、純粋に葉菜の困ったような苦笑が気になったから。
いつもと質の全く違う笑みに、正直を言えば僕は困惑し、当惑された。訳の分からない行動に、理不 尽な怒りさえ覚えた。
葉菜には苦悩や深考は似合わない、そんな深い考えに裏打ちされたような一種悟ったような笑いは似 合わないのだ。
葉菜には無知で無邪気な、何も知らないような笑みが似合っているし、またそれ以外は似合わない。 その時の葉菜の不可思議な表情は僕にひどい違和感を感じさせたし、苛立たせもした。 いっその事問い質してやろうかとも思ったが、その領域は何か僕のような他人がずかずかと踏み込ん ではいけない場所の気がしたし、僕が切り込めばその空間を踏み荒らしてしまいそうな気がした。そ れは避けたかった。
結局、解決も出来ずかといって見過ごしも出来ず、だらだらと惰性のまま葉菜の言いなりになったと いう側面は確かにある。
二つには、これを僕の嬰児から離れる為の第一歩にしようと思ったからである。
やはり僕らの関係は近過ぎるのだろう。近過ぎれば及ばない、過信してしまえば後は溺れるだけ。僕 らはきっと行き過ぎてしまった。
僕の世界にはこれまで嬰児しかいなかった。他の物事は等しく雑事であり、あらゆる人々どうでも良 い人間ばかりだった。しかしこれからはそれではいけないのだ。僕はもっと視野を広く持たなければ ならない。
近過ぎる距離が信頼を産まないなら、少し距離を置けば良い。
その為に、僕には嬰児以外の人間と付き合う必要があったのだ。
二人の輪はまだ終わる訳にはいかない。
三つには……これは何といえば良いのだろう。
僕は、多分とても寂しかったのだ。やりきれない思いを抱えて独りでいることに耐えられなかったの だ。葉菜が自分もサボろうと言いだした時、思わず制止の言葉が喉で詰まった。
話し相手が無償に欲しいと感じた。
嬰児ですらも気を許せる存在で無くなった今、頼れる物は何一つ無い。そう自覚してしまえば、後に は恐怖しか無かった。
人が恋しい、のだろう。
長い間人間らしい感情を押し殺して生きていた自分にはその思いの名前を見付ける事はとても困難だ ったが、多分、それは「人恋しい」という感情だった。
今だけでも、葉菜のマシンガントークに身を任せてしまいたいとさえ思う。僕は随分と弱気になって しまったようだった。






きっと三つ目の理由が一番大きな理由だった。先の二つの理由は、後から考えて付け足したような物 だ。
僕は、葉菜を都合良く利用しているだけなのだろう。
それでも良い、と思う。やはり肝心の所で、僕は嬰児しか見れていない。


















Something else ――――――― 6th


















「……んー」
「………」
「―――――えっと、ねぇ…」
「………」
「………うー……」
さっきからずっとこの調子だった。
二人で並んで歩きだしたは良いものの葉菜は何か言いたげにするばかりで、話が一向に始まらない 。
見れば葉菜は俯き指を弄びながら、心ここにあらず、上の空で呻き、先程から意味をなさぬ言葉を延 々零し続けている。眉をしかめて難しい顔をする葉菜に僕の方を見やる余裕は無いようだった。
それに対して僕の方は居心地の悪さにどうにかなってしまいそうだった。いたたまれない様なむず痒 さに軽く身じろぎ、だが当然そんな事では引かない違和感に軽い目眩すら覚える。
その不快感に耐えかねた僕はついに、決意を固めて口を開いた。
「……なぁ」
僕が声をあげると、葉菜は不自然な位に驚き、怯えたように肩をはねさせた。それから奇妙な間の後 、焦った風にわざとらしい陽気さで喋りだす。
「……なっ、な、何かなっ!?あず君いきなし不意打ち!よーこびっくりだよ!無口キャラは一言が重 いよね!」
過剰すぎる反応に寧ろ僕の方が気後れする。厭になる程真正直な葉菜は、動揺すら素直で率直で、僕 にはそれが少しだけ羨ましく同時に多大に憎ましい。
「………」
呼び掛けはしたものの、次に続く言葉が見当たらない。僕は黙ってしまった。
葉菜も勿論口を閉ざし、また奇妙な沈黙がおりる。
何か不自然な気がした。考えてみれば、今までも僕は自分から多くを語った事は無い。いつも相手が 会話を始めるのを何処か他人事めいた思いで待っていた。自分から話題を提供するなんて事はしたこ とが無いといってもあながち過言ではない。
しかし不思議とその性癖が原因で困った覚えというのはとんと無い、それはつまり話が無くなり身の 置き所に困る様などうにもしようのない重苦しい沈黙という物を経験した事があまり無いと言う事だ 。何故だろうと首を捻れば、答えはすぐに出た―――――嬰児だ。
嬰児との会話はいつも明瞭で淡泊、言うべき事以外はほとんど話さない。その言うべき事でも、僕は 語らずとも嬰児が無言のうちに理解してくれる。皆まで口に出さずに通じあえるのだ。それに、嬰児 との空間は例え沈黙の静寂の中でも、寧ろその方が心地よく安らげた。
そうか、普通は会話が無いと困るということを僕はすっかり失念してしまっていたのだった。
近付き過ぎれば存外に気付けないが、やはり僕にとっては嬰児は掛け替えの無い無二の存在であるの だろう。だからこそ、失わない為に僕らは一度距離をとらねばならない。
隣で葉菜が、ゆっくりと歩みを止めた。
「……あのね、」
そして迷いながら、ようやく口を開いた。表情は若干堅く、緊張している風である。葉菜にすれば全 く珍しい程に慎重に言葉を選んでいる様だった。
僕も立ち止まり、向き合って居住まいを正し聞く姿勢を取る。あの葉菜がここまで真剣に考え抜いて 口にするのだ。それは余程の話題である様に思えた。
せめて真面目に向き合って聞くのが、精一杯の誠意というものだろう。
言いにくい事を切り出す様に、葉菜は躊躇いながら言った。
「……さっちゃんと、なにかあったのかな?」
「……」
一瞬、ついさっきまで考えていた事を言い当てられたのかと思った。息の詰まった様な気がして、し かしすぐに只の偶然と気付いて平静を取り戻す。尤もその平静の演技も、とても巧くやれているとは 言い難かったかも知れない。
嬰児…嬰児。何があったのかと言われれば、それは一言では表しがたい程の出来事としか答えられな い。
二人の間に僅かに口を開けた亀裂。僕はあいつに公然と秘密を作り殺人し、嬰児は知らぬ間に僕と以 外の道を模索し、僕のかつて知る彼ではない人間になってしまっていた。もう今までの互いに頼りき った関係は限界となっている。
簡潔に言えば、今僕らは別れ道にいるのだ。それは自立しながら共存する道を探査する時期だ。手探 りで暗中模索、それでも別離は迫っている。
そう言ったもろもろの諸事情が頭を駆け巡る。僕の顔色が明らかに変わったのを見てか、葉菜は何か 引きつったような中途半端な笑顔を浮かべた。
「う、あのね!うん、昨日ちょっと二人の雰囲気が変だったって言うか!なんかさっちゃんもあず君 も怖かったから!違かった!? あ、よーこの勘違いかも!ごめ、う、よーこの間違いだよっ!忘れよう !あず君も忘れて、ねっ!」
…なんだろう。葉菜にも気付かれる程昨日の僕らはぎくしゃくしていたのだろうか。
何にせよ、別に葉菜にこれ以上黙っている理由は無かった。最初から秘密にするつもりであった訳で はない。勿論殺人劇のくだりは省かねばならないが、それ以外であればある程度以上の事は知られて 困る事ではない。
「気を使わなくて良い」
僕は言った。本心からであった。
葉菜は途端にぴたりと静かになり、またゆっくりと歩きだした。俯き加減の顔に髪の毛がかかり、そ のせいで表情は見えない。
「……ごめんね。でもほんとに、どうしても聞きたいーって感じじゃ無かったんだよ。ただちょこっ とだけ気になっただけだから。なんとなく、二人がしんどそうに見えたっていうか、重そうに見えた っていうか…。そりゃあね、普段からあず君たちには、なんとなく入れない空気ー、みたいなのがあ ったから、よーこなんかがしゃしゃりでるトコじゃないって 思ったんけど、思ったんけど、でも、なんか、なんかあず君にしたげたくて、役にたてたらいーなぁ って、そんなの出来るか分かんないし、たぶん出来ないんだけど、でもなんかよーこにも出来ること ないかなーって。
あのね、なーかね……そもそもあず君とさっちゃんってどういう関係なのかなぁ?なんだか…二人の 間って入りこめないよ。ただの友達じゃないよ」
そう言うと、葉菜はまた黙ってしまった。俯く顔の影になって表情は分からない。
「……何だかなぁ。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。あず君ごめんなさい。めーわくだよね ー。ごめんなさい。よーこ、何でもないんだよ。どうもしないんだよ。ね、何も言わなかったことに して?あず君も、うん、そうしよう!」
そう言った葉菜は、顔をあげると満面の笑みを浮かべた。それはやはりいつも通りの眩しい表情で、 無邪気で楽天的な笑顔だったのだが、なのに今回に限ってそれは何処か作ったような、無理矢理の演 技の匂いのする、見ているこちら側が痛くなってしまうような物だった。
そんな顔は、似合わないのだ。葉菜にはそんな、深い表情は似合わないのだ。いつもの無知な色を消 した葉菜は辛苦を知っている顔をしていて、僕をその違和感で苛立たせる。
だから、それは只の気紛れだったのだと言う事をここで強調したい。僕がそんな言葉を言ったのは、 苛立ち紛れの気紛れなのだと。いつもと違う葉菜の顔付きが、僕をその気にさせた。葉菜の為でもな ければ嬰児の為でもない、まして僕自身の為にもならない無意味で無価値な暴露をする気にさせた 。くだらない感傷的な告白を舌にのせさせた。
「葉菜は、」
僕はわざと唐突に喋り始める事によって、葉菜の不自然な笑いをかき消した。
笑みが消える。静寂が空間を満たす。張り詰めた緊張を内包した沈黙がおりた。
僕はゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「葉菜は、勘違いをしている。僕と嬰児は、友人関係じゃない」
回りくどい位の言葉を選んで、ゆっくりと。そこで言葉を切り、葉菜の目を覗き込んだ。黒目の比重 の大きい瞳は、困惑して不安げに揺らいでいた。
友人関係ではない。そんな在り来たりな、普通の関係ではない。僕らはそれ程普遍してはいないし、 もっと壊滅的に疎外されている。
葉菜の疑問をのせた視線が心地よく体を貫く。
濡れて不安定に揺らめく瞳に僕の顔が移り、途端に瞬きによってその像は歪みねじくれた。
「友達などではない。そんな常識的な関係ではない」
―――――そして。












「僕らは―――――鷹塔亞澄と桜ノ宮嬰児は、同じ母親の腹から時同じくして産まれた、血肉を分け 合った二卵性双生児だ」

 

 





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