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 あなたと結婚して、私は明け方浴びるシャワーが、哀しくてなりません。独り身の時は平気だったはずなのに、肌寒い薄闇の中、冷水のシャワーが温まるのを待っているひと時、寒々しくて、寂しくて、哀しくて、私は唇を噛みしめる。それでお湯が出てきて、冷え切った身体に人肌の水滴が無数に降ってきて、厳しい凍えが溶け始めたとき、私は泣いてしまう。温かくて泣いてしまう。
 独りのとき、こんなことは、へいちゃらだったはずなのです。誰とも触れ合わないときは、孤独であることにも気付かなかった。隣に体温のない寂しさも知らなかった。夜に窓から外を見た時に家々の窓に灯る明るさがこんなにも身にこたえることも知らなかった。あなたと結婚してからです。何もかも、私の気付かなかった世界が、深い深遠を湛えていたことを知ったのです。
 夜に電話がなっても、今までは居留守を使って出なかったのに、今ではいたずら電話だと分かっていながら取ってしまいます。こんな時間に知人がかけてくる電話などないことくらい、了解しているのに、どうしても取ってしまうのです。人の声がこんなに恋しいのは、知らなかった。それに、夜に散歩に出て、先の見えない闇の中を、橙色の電灯をともした電車が走り抜けてゆくのを見ると、涙が出るようになりました。健気で寂しげで、とても見ていられない、切なくて胸がきりきりする。秋口にたった一匹よろよろと飛ぶ蚊や、ファーストフードの店で背を丸めて座っている老婆、本棚の中一冊だけ紛れ込んだ古びて黄ばんだ本、コンクリートのひび割れ、そういう何もかもがつらいのだということを、私は知らなかった。
 孤独なら孤独のままそっとしておいてほしかった。あなたと結婚してから、毎日が悲劇です。世界中に悲しみが溢れかえっている。私は一人で、それに立ち向かう。独りの時は知らなかった沢山の悲しみや苦しみが、今は身に沁みて、身体の芯がいつも痛みを覚えているような気分です。へいちゃらだったことがへいちゃらでなくなってしまう。こんな恐ろしいことは、独りで立っていた時には気付きませんでした。ちっとも平気ではない。ちっとも強気でなどありません。