ある峠道に差し掛かったときの事だった。

 ずうっと俯いたままただ黙々と歩いてきたのだが、峠の道と道がXの形で交差する所に来た。自分の来た道 も含めて二つは山のこちら側に通じ、残り二つはあちら側へと繋がっている。自分はあちら側に行きたいの でさぁどちらに行こうかと顔を上げて周りを見渡した。すると、目の前には何だか珍妙な光景が繰り広げら れていたのである。
 自分の来た道でない方の道から、人間や動物が混ざり合った一列が恂恂と歩んでいた。人も居れば、犬も居 るし、蜥蜴もいれば、鶏もいる。そういう無秩序な一列が、ただ一様にしめやかな風で、寂々と歩を進めて いる。互いに言葉を交わすものも居ない。一体どういう目的でこうも無作為な列が出来上がったのか分から ないけれども、ただ皆ゆっくりとした足取りで、一歩一歩確かめるような巡礼者めいた足取りで、歩んでい る。
 何故だか分からないけれども、哀しくなった。
 まるで統一感の無い一列なのに、不思議と違和感はない。一様に静閑な歩き振りだから、不気味と言うより かは何だか寂しい。誰も一言も発しないし、視線を巡らせることもしない。皆が地面だけを見て、一歩一歩 歩んでいる。
 たまらない気分になった。目を覆って泣き出したいような気がした。一人として立ちすくむ自分に目をやる 者は居ない不思議な一列に、声をかけたいと思って、近寄った。すると、その時丁度交差点に差し掛かった 人間が、へんに落ち着いた顔でちらりとこちらを見た。その目には透き通った叡智が、透明で哀しげな叡智 が宿っていた。何処へ行くのですか、と問おうとして、そんな澄んだ目をもった人に問いかけることを躊躇 った。すると、その人はぽつりと言った。
「この道はさみしい。周りには沢山いるのに、みんな一人で歩いているみたいで」
 そうして、立ち止まることなく行ってしまった。次には茶色い貧相な毛並みの馬が通った。やはり先の人と 同様綺麗な目をしていた。馬は言った。
「この道を歩き終えたら、ようやっと終わりだよ。働きづめはもうやめだ」
 馬が人語を語ったことに疑問は覚えなかった。寧ろ、当然なことのように思われた。馬も立ち止まらない。 次々に色んな生き物がやってくる。
「怖くは無いよ」
「やっと終わりだ思ったら、なんだか安心さえしてしまう」
「この道はどこに通じているんだろう」
「自分たちはどこへ行こうとしているんだろう」
「何も分からないんだ、何も」
「どうして此処に来たのかもよく覚えていない」
「生きているよりも、生きていない今の方が、普通のことの気がする」
「頭がすっきりしてるよ。余計なことは全てどこかに落としてきた」
「寂しい、一人はいやだよ」
「本当に自分たちは死んでしまったのかな、死ぬって、何なんだろう」
 皆決まってあの、静寂の叡智の篭った瞳をしていた。この目を何処かで見たことがあると思った。そうして 思い出した、以前飼っていた犬がこの目をしたことがあった。
 猟犬として飼っていた犬だった。ある日、山で猪を狩った。犬がその巨大な体躯の猪を巧みに追い詰め、そ こを自分が猟銃で仕留めた。大きな銃声が山の静寂を引き裂いて木霊した。猪は、そのこわい毛に覆われた 身体を大きく跳ねさせて、二三度痙攣して、動かなくなった。狂おしいような動作で足を動かしていたのが 止んだ時、猪の生命は事切れていた。その日、犬を家まで連れて帰って、逃げないように首を紐で繋いでい る時、犬はじっと自分のほうを見つめた。その目は、透き通った、何かを悟ったような、静かな叡智を宿し ていた。自分は、怖くなって、急いで目を逸らして何も無かったふりをした。犬はその夜中に獣に襲われて 死んだ。翌朝、繋がれたまま蹂躙され抵抗することなく死んだ犬を始末した。
 あの折の、犬の目と同じ目をしているのだ。色んな悲惨があることを知ってしまった、そういう悲惨を味わ いそれでいてその悲惨を受け入れてしまった、悲惨について誰も責められないことを知ってしまった、そう いう目だった。
 静かで、寂しい色をしていた。
 一列は、どこまでも尽きない。静寂の中を進んでゆく。寂しさに耐え切れなくなって、その場に跪いて地に 伏せた。何物か分からない何かに祈りたいと思った。

(やわらかな拒絶)