「君の為なら死ねるよ」
「君の為なら死ねるよ」
君の為なら 君の為なら ……
貴方の呼吸を聞きながら
私は生きているのに
(『蓮』ゆう)
抱き締めていて。ずっとぎゅっとしていて。
貴方はひどく忠実に私の願いを聞いてくれるけれど、私が望んでいるのはそういう物ではないのに。
「ずっと抱き締めていて。」
命令すれば、貴方はそっと優しく私の肩を抱いてくれる。壊れ物を扱うように、あくまで優しく。も
ういいという迄、いつまでも。
身動きもせず傲慢に振る舞う私の髪をその大きく少し骨張った手で梳きながら、嬉しそうにその髪に
顔をうずめて彼は満足げに吐息をつく。そこでようやく私は安心するのだ。まだこの人は私を愛して
くれている、と。
彼はどんな時でも私の願いを聞き入れてくれたし、またどんな無茶も受け入れてくれた。拒絶など一
度もせず、私の我儘をいつも穏やかな笑みで聞いてくれた。けれど、私は常に不安だったのだ。
彼は否定をしない。私の行うすべての行為を、彼は肯定する。それは私を愛してくれているというよ
りも、まるで聞き分けの無い子供をあやしているかのようだ。私にはそれは丁度駄々をこねる子供の
癇癪を微笑ましいと許容している様に見える。
彼の愛情は、余りに無償的だった。対価を求めない、見返りを必要としない、それは例えるならば親
が子に与える様な不可解な愛情だった。私が何をしでかそうと許容する、神仏のように寛大な精神。
無償の愛。
私はけれども、逆に不安を覚えたのだ。彼の優しさに、同情の色を疑った。
私はあんな愛し方を知らない。私が良く知っているのは、互いに傷を舐め、時にエゴを押しつけ合い
、出来る限り相手から好意を搾り取ろうとする、そんな奪い合うやり方だけだった。勘違いの自己愛
の対処なら知っているけれど、注ぎ合う献身の精神の削り方は知らない。そんなやり方は学ばなかっ
た。
だから私は信じられないのだ。
彼の私への態度は、一人の女としてのそれではなく、只の同情心から来る感傷的な哀れみではないか
。可哀想だから愛している振りをしてあげる、そのうちに彼自身が同情と愛情を勘違いし取り違えて
しまっただけなのではないか。或いは肩肘を張って強がっている私の脆さを知り、同情すると同時に
その浅薄な自己防御を僅かに軽蔑した彼が、見下すというスタンスの優越感を持続させるために愛を
与える振りをしているだけなのではないか。彼自身も気付かぬ心の内には、只ひたすらに私を侮蔑す
る感情だけが渦巻いているのではないか。
結局突き詰めれば私と彼は赤の他人同士なのだ。
そんな中で無償の愛だなんて所詮不可能な話ではないか。
「もっと強く」私は要求し、言われるがままに彼は私を抱く腕に力を込める。加えられる力に体がた
わみ骨が軋む。
彼のその従順さすら私には悲しい。
彼はまた意見しない。私の言う事を只微笑んで肯定する。ひたすら素直に私の命令を実行するだけ。
私は彼の腕の内で、静かに唇を噛み締めた。私が欲しいのは機械的に命令をこなす奴隷ではなく、人
間の温かみでもって私と同等の場所で関係してくれる良き隣人であったのに。
痛いくらいの抱擁、肉体は寸分も離れていないのに、心はこんなにも遠い。貴方は本当に私の事を理
解してはくれない。
優しく包み込む腕は、私を知らない者のそれなのだ。
私は瞳を伏せ、ただただ祈るしかない。どうか、貴方の本音を教えて下さい。真っ直ぐな感情をぶつ
けて下さい。貴方の見えない心のせいで、いつでも私は不安です。また、どうかただ許容するだけで
なく、たまには私に甘えて下さい。与えられるだけの愛情は不確かで脆いです。頼りない私でも、せめ
てそれ位は。
けれどそんな私の心を露知らぬ彼は、私を優しくあやしながら、また怖い台詞を囁いてしまう。
「君の為なら僕は死ねる。」
白いシーツ、侵食してゆく焦燥と不信の色は。
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