勇輝は長らく清春は盲目なのだと思っていた。
何故かと言って、それは彼の瞼が開くところを見た事が無いからだ。
文字通り、清春はいつも瞳を閉じて生活していた。彼の一挙手一投足に常に観察していたという訳 では無いので断言は出来ないのだが、それでも随分長い間、それこそどうでもいいような他人など よりかはずっと清春の事を知っているという自信がある。
例えば清春の教科書、化学も数学も物理も英語も、とにかく点字の打たれた物を使っていた。真っ 白い本に突起のある透明なテープを貼っただけの簡素な教科書。
それに指を這わせ手探りで文を解読する。清春の性別の判別付きにくい細くたおやかな指先がゆっ くりとテープに沿って横になぞられ、ゆきつもどりつ、その様は息も詰まりそうな位艶かしく、瀞 謐な美に満ちていた。
清潔な紙の白色に映える色の抜け落ちた白い指先。其処だけ切り取られた様に過度に清廉。
清春の恐らく無機質な墨色なのだろう瞳はそんな時も開かれる事が無く、勇輝はその体の一部分が 欠けるという不安定さに自分らしくもなく、退廃美を覚えたのだった。清春は勇輝に様々な背徳的 美徳感と加虐的快感を其の身でもって
教え込んだ。意識的にしろ無意識的にしろ。
生気の抜け落ちた表情、けして色を見せない顔、一度だって開けてみせた事の無い双眸。
だから一度、たった一度だけ開眼した彼に、勇輝は死ぬ程驚いたのだった。意志を持って自分を見 つめる黒眸に呼吸を殺す程緊張し体を強ばらせた。
瞳をもっている、たったそれだけで清春は清春で無くなるのだ。


……なぁ、
あんた目が見えたのか。
「そう、見えたよ」
盲目だと思っていた。
「ああ、そう見えたの」
いつも目を閉じていたじゃないか。
「閉じていた」
点字を読んでいた。
「うん」
普通に読めるのにか?
「そう」
不便だろう。
「うん、まあ」
何故目を開けていないんだ。
「つまり?」
どうしていつも目を瞑っているんだ。
「なんでだろう」
見たくないものでもあるのか?
「そうかも知れないね」
ずっとあんたを見ていた。教えないつもりか。
「見ていたの」
ああ。
「ずっと?」
ああ。
「そう」
教えないのか。
「そうだね、教えてもいいかもしれない。」
………。
「目を閉じて、太陽の方を向くだろう?丁度太陽を見つめる様な 感じで。その時、何が見えると思う?」
目を閉じているのだろう。暗闇じゃないのか?
「不正解。視界が真っ赤に染まるんだよ」
……?
「目蓋は薄いから、太陽光線で目蓋の血液が透けて見える。それで赤く見えるんだね」
赤くか。
「真っ赤に」
嫌な色だ。
「そう?僕はそうは思わないけれど。本質をよく捕らえていると思わない?」
暗闇は本質ではないのか?
「全然違う。偽悪への傾倒は度を超せば只の自己救済だよ。暗闇は其処にあるように見えて実は存 在しないみたいに、結局偽悪は中身が無いから」
暗闇は偽悪か。
「そうだね。偽悪かもしれない」
あんたは偽悪を見ているのか。
「さあね」
暗がりは恐ろしくないか。
「まさか。赤くて黒くて、まるで本物の世界みたいに綺麗だよ」