喫茶店で珈琲を飲んでいると目の前の相手にぶっかけたくなるんだ、不思議だね
。
そう言うと彼女は表情も変えず、ねぇところで話があるのと切り返した。無視さ
れたのか、と思うと怒りよりも滑稽さで笑いが込み上げる。
「あなたは四季の何時が嫌い?」
「それは断然秋だね。奴は思わせぶりだよ。厳夏を乗り越えてようやく良い気候
になったと思いきやすぐに肌寒くなって今度は極寒に突き落とすんだ。最低だよ
」
実際のところ僕はそこまで秋が嫌いではない。食物はおいしいし風景は綺麗だし
、むしろ佳良の評価しているかも知れない。
でも会話の神髄というのは騙し合いにあるべきであって、正直に言うのは僕の主
義に反するので、これはこれで良いのだ。僕は珈琲をずずと飲んだ。珈琲とて少
し甘過ぎるくらいがちょうど良い。
「かわった答えね。秋を疎む人はそういないわ」
面白いじゃない、と艶然と笑った彼女にそれはどうも、と小さく肩をすくめた。
会話を楽しむ為には多少のジェスチャーが肝要だ。口だけを動かしていれば良い
というものではない。僕は言う。
「じゃあ君は逆に、四季の何時が好き?」
そう、さして興味の無い話題でも相手のふってきた話にはきちんとのらなければ
ならない。そういう細やかな気遣いが人間関係を円満にする。その点僕は如才無い。
「そうね……好きな季節。冬かしら。ぴりりとした寒さは身を引き締めて、清冽
な気分にしてくれるもの」
「へぇ、冬か。君は暑いより寒いほうが良いと思うわけだね」
「ええ。家に閉じこもっていたら結局一緒だけれど」
彼女も珈琲を一口含んだ。そして眉根を寄せて、苦いわ、と言った。僕は甘いく
らいだと思ったのだが。
「価値観の相違ってすごいわね」
「四季の認識の話?」
「いいえ、違う」
彼女は珈琲カップを置いて微苦笑した。僕は話の筋が分からず、内心で首をひね
った。良くない兆候だ。言葉巧みに舌先三寸で円満な会話を営む事を信条とする僕にとって、
会話を掴めていないなんてのは最悪の状況だ。
「私は貴方に『四季で何時が嫌いか』って聞いたでしょう。貴方は私に『四季で
何時が好きか』って聞いたわ。これってすごい事じゃないかしら」
僕は会話を楽しめていない現状に苛立ちはじめている。いっそ手が滑ったよだと
かなんとかいって珈琲をぶっかけてしまおうか。そうすれば少なくともこの危う
い会話がおわる。ああ、今僕はアイデンティティの崩壊の危機にさらされている
のだ。
「貴方は世界を『好き』でとらえる。私は世界を『嫌い』でとらえる」
彼女は何でもないふりをしてひどい事を言っている。そうだよ僕は世界が大好き
だ、自分より美しい世界が大好きだ。そして君は下劣な世界が大嫌いで、自分よ
り拙劣な世界を憎んでいる、そうだろう? 僕は愛する事に価値を見いだす、君
は憎む事に価値を見いだしている。ああ、僕は愛する君と世界にこの甘い珈琲を
ぶっかけてしまいたい。
「珈琲が苦いわ。出ましょう」
彼女は最後の一口を飲み干して席を立った。僕はまだ立ちかねて珈琲カップを握
り締めている。
この珈琲カップは違いすぎる僕と君を繋ぐ唯一の手段だというのに、君はいとも
容易く手放し世界ごと憎んでしまう。
仕方なしに僕も珈琲を飲み干して席を立った。会話は騙し合いだ。真実など語ら
ないに限る。だから僕は君の台詞を八分目程度に聞いておこう。彼女は暗に「だ
から私に近づくな」と言っているようだが、そんなのは知った事か。僕は君に
敬意を持ってどんどん近付いてゆく。君の事情なんて知らない、僕は僕の味覚を
信じて珈琲を飲むように、君との親交を深めてゆく。
勘定をすませもう店外に出てしまった彼女に追い付き並んで、僕は笑った。世界
は綺麗だ。君も綺麗だ。それだけで僕は満足だ。
隣で笑んだ僕を見て、彼女は不可解そうな表情で、変な人、と笑った。君の醜悪
な世界で僕だけが奇妙にねじくれていたら良い、と思う。