「目の前に貴方がいて、私だけを見ていてくれている。
………悪くない、死です」
そう、はっきりと紡がれた言葉を聞き、思い至る。
弾が出れば死ぬ。そんな当たり前の事を失念していた。
死んでしまう。
咄嗟に手を伸ばし、神崎の拳銃を持つ手を払おうとして。
間に合わず。
―――――引き金が、引かれた。
17 : 駆け引き the 5th
「……っ?」
すくめていた肩をおろし、思わず閉じてしまっていた瞳を開ける。
音はついに、しなかった。
神崎は自失の態で、茫然と右手に握られた銃を見つめていた。
弾は、出なかった。
神崎は、死ななかった。
―――――神崎は、生きていた。
その事に、ひどく安堵する。
殺そうとしたのは僕自身であるのに。
全く矛盾した感情だが、それでも僕は、確かに安心を感じていた。
………殺さなくてよかった。と。
何故か、心から思う。
生きていてくれてよかった。と。
しかし、僕の心情とは正反対に、神崎は苦々しい顔つきであった。
眉を寄せ、唇を引き結び。
来たる時が来てしまったような、望んでもいなかった未来が訪れたような。
………何故、喜ばないのだろう。
折角、生き残れたというのに。
ゲームに、勝ったというのに。
五回目の勝負が終わった。総弾数が六発の拳銃においてその意味する所は、神崎の勝ちが確定したと
いうことだ。
なのに、何故。
「おめでとう、神崎。君の勝ちだよ。もう少し喜んでみたらどうなんだ?」
動かない神崎にしびれを切らした僕は、ついにそう言った。
神崎はようやく顔をあげ、僕に焦点を合わせたが、それでもまだ表情は晴れない。
どころか、やり場の無い苛立ちを募らせた表情でこう言った。
「おめでとう? めでたい? めでたいことですか?
―――――これの何処が、めでたいというのです」
神崎らしくない物言いに、僕は思わず口を閉ざした。
半ば自棄に走っているような神崎の言葉の意味が分からず、押し黙る。
そんな僕の様子には神崎は全く頓着せず、静かに、言った。
「私の勝利の意味するところは―――――貴方の死、のみです」
ああ。
ようやく合点した。
「なんだ、そんな事か」
僕がそう笑うと、神崎は複雑な、それでいて哀しげな顔をした。
不思議に思う。何故、神崎がそんな顔をするのか。
「……そんな事、ですか」
「その程度の事、だよ。君が気に病む必要はない。これは僕が決めた事だ。」
それでも浮かない表情の神崎に、僕は続ける。
「―――――実を言うと、僕はこうなる事をある程度予測していたんだ。このゲームが終わった時、
僕は生きてはいないだろうと薄々感じていた。それを承知でゲームを仕掛けたんだ。すべて僕の責任
だよ」
僕は言う。そうだとすれば、このゲームはもともと、一種の自殺だったのかもしれない。
僕は、早く楽になりたかった。
「ですが…」
「君と過ごした最期の時間は、それなりに楽しかったよ。僕にはそれで十分だ。これ以上、何を望む
事がある? さぁ、銃を貸してくれ」
反駁を遮って僕は言った。
神崎は僕の科白に一瞬言葉を詰まらせ、やがて諦めたように溜息を一つき、言った。
「………貴方の決意は、もう、変えられないのですね」
やりきれない、辛そうな声だった。
僕は、無言でもって答えた。
神崎にはそれで十分なようだった。
「―――――分かりました。ではせめて一つ。本当にこれで最後ですから、お願いです」
そう言って、神崎は。
最後の一発の入った拳銃の銃口を。
あろう事か、僕の脳髄に照準を合わせ、言った。
「私の手で、殺させてください」
僕は神崎の目を覗き込んだ。
つい先程まで哀しみや苛立ちに揺れていた筈の瞳はすでに乾き、元の冷たい感情だけを浮かび上がら
せているのが分かる。
奴らしい、理性的な目。
「………本気か?」
尋ねたが、銃口はもう揺らがない。真っすぐ僕だけを狙い、なびかない。
感情の浮かびにくそうな暗い瞳孔は、僕だけを見据えていた。
神崎に答える様子はなかったが、態度が伝える。
―――――本気だ。痛いくらいに、真剣。
その真剣さが何故かおかしくて、僕は思わず口元を緩める。歪んだ笑みが零れる。
それだけでは飽き足らず、肩を震わせ、声をあげて笑う。
「おもしろい、君は本当に予想外だ! そうだね………、君に殺されるのは楽しそうだ。いいよ。お
前の手で、打ち抜いてくれよ………」
抵抗なんてしない。そんなものは、ただ不粋なだけだ。
神崎も、余計な事はしない。静かに銃を構えたまま動かない。
どこか静謐な空間が出来上がる。そういえば僕はこんな風な厳粛な空気が昔から好きだった。
僕の死に相応しい空間だとさえ思う。
不意に、それまで黙っていた神崎が口を開いた。
「……どうして私たちはもっと早く互いを理解できなかったのでしょう。
最初からこうやって話し合っていれば、こんな事にはならなかったかも知れませんのに。いえ、なら
なかった筈です。どころか、互いに失いがたい、良き隣人にだってなれたでしょう。互いに互いが特
別だった………他人と交わりあえない―――――私と貴方なら。
私たちは、何処で間違ってしまったのでしょうか」
神崎が撃鉄を起こす。リボルバーの回転する鈍い音が、最後通告のように響き渡った。
「……違うよ、神崎。それは違う。僕らは途中で間違ったんじゃ無い。
最初から、出会うべきじゃ無かったんだ。僕らは良き隣人になんて絶対になれない。まして友人にな
んてなれるべくも無かった。僕らは、出会ったしまった事からすでに間違いだった。
だってそうだろう? きっと僕らは、出逢った瞬間から、―――――死ぬ運命だ」
僕は言った。
神崎は薄く笑って答えた。
「―――――そうですね」
神崎の目が、照準ごしに僕の眉間へと集中する。
引き金が音を立てて軋む。
「本当に―――――お別れです」
神崎の目にもう、感情らしきものは浮かばない。
そして、
引き金が、
「さようなら、玖堂君」
神崎に会った事は、間違いであっただろうけれど。
それでも、僕は、今。
神崎に出会ったことを、
後悔はしていない。
爆音が脳髄に響きわたる。
終わりなのだな、と思う。
最後に一つだけ、伝えたかった。
僕は、
産まれて初めて、
ひどく、幸福でした、と。