最後の勝負が、始まる。














17 : 駆け引き      the 4th















こ慣れた手つきで黒い筒をこめかみに押しあてる神崎の姿も、三回目となるともう見慣れたものだっ た。

「勝ちにせよ負けにせよ、どちらにせよこれで私の勝負は終わりです。―――――最後に何か質問は ありますか?」

余裕綽々の口振りだが、目の底には鋭い光が灯っている。強ばった表情は、緊張している証拠だ。

「そうだね………」

もう言いたい事も聞きたい事も無い、はずだった。
だが、心の奥に薄く積もった疑問が一つある。

「さっき、君は言ったな。『目的は無いけれど動機ならある』。―――――動機とは、何の事だ?」

神崎は何とも言えない複雑な表情をして、ぐっと言葉に詰まった。

「…………答えたくありません」

「――――へぇ」

答えたくない。常に嫌味な程冷静で沈着な受け答えをする神崎にしては、随分と歯切れの悪い回答だ った。
何かある。僕はそう確信する。

「もう一度聞く。動機は何だ?」

「……ですから、」

「答えたくありません、なんて暴言を僕は期待していないよ。まさかそんな無茶苦茶な言い分で僕が納 得するとでも?」

僕がやりこめると、神崎は酷く嫌そうな顔をして、悩むような素振りで黙り込んでしまった。
勝った。言い負かした事で嬉しくなり、口角が自然つりあがる。

「神崎?」

「―――――分かりました。降参です。私の負けです……貴方には適いません」

動機でも何でも白状させて頂きます。
軽く吐息混じりに言う神崎に、笑いが止まらない。
僕は唯一こいつへの勝利に対してのみ優越を感じる。

「なぜゲームに参加したんだ? 君が参加する義理は無いだろう?」

「………理由なんて、ほんの些事ですよ」

苦そうに呟く神崎の様子は、何か悔やんでいるようにも見える。
思い出すように視線を遠くへと向けた神崎は、ようやく口を開いたかと思うと突拍子も無い事を言い 出した。

「私と貴方の最初の出会いを覚えていますか? そうですね、確か丁度二年と二ヵ月前の出来事で した」

急に飛んだ話に僕は戸惑う。そんな昔の事は覚えていなかった。
だが神崎は答えを期待していた訳では無かったようで、僕には欠片の注意も払わず、遠い瞳で語るの を止めない。

「坂宮駅東口の所に図書館があるでしょう。貴方はそこの閲覧室の奥から二番目のデスク、一番右の 椅子に座っていました。ああ、トルストイを読んでいた筈です。
ちなみに二回目にあったのはそれから十二日後。三回目はその四日後。どちらも私から貴方に語り掛 けました。貴方は笑顔で対応してくれましたが、その笑顔が何処か偽物のような……演技の匂いがし ていたので、私はちっとも縮まらない距離に苛立ちを禁じえませんでした」

流れるように紡がれる言葉に迷いは無い。
僕は何か空恐ろしいものを感じた。

「自慢では全くないのですが、私は決定的に人間の顔や名前という物を覚えられない質でして。例え ば親の顔も記憶に危ういですと言ったら信じてもらえると思うのですが。
ああ、覚えられないというよりは寧ろ―――――認識出来ない、の方が正しいのかもしれません」

親の顔さえ―――――というのは誇張にしても、人間の顔や名前を識別できないというのはあながち 分からない訳でもなかった。
僕にも覚えがある。
皆一様に、特別な印象に欠けるのだ。同じ顔、同じ声、同じ話、同じ雰囲気。
画一化されたように皆同じ。どうやって区別をつければいいのか、途方にくれる。

「話を戻しましょうか。………皆して同じような風の中で、ただ一人違う形の人間がいました。強烈 な個性と人格、時折見せる偽物でない目がひどく綺麗な……ただの蛋白質の凝固物である眼球があれ ほど美しく見えるという事実を、私はついぞ知りませんでした。
ですから、今のところ私に認識出来る人間は一人だけ―――――」

神崎はついと顔をあげ、僕を見つめた。
爬虫類を想起させる瞳が僕の動きを縫いとめる。

「貴方だけです」

僕は、こいつの瞳に心を奪われたように身動き出来ず。
茫然とただ神崎を見つめかえした。

「先の問いで貴方は、私が貴方の事を嫌いでない筈だと仰った。全くその通りです。私は貴方の事を けして疎んじてはいない。厭う訳が無いでしょう。私に見分けのつく人間は貴方だけだというのに。 貴方しか、分かりませんのに。
寧ろ、私は………」

一旦言葉を切った神崎は、ため息を一つ、そして静かに目を伏せた。
まるでこの事態を憂いているかのような態度。

「貴方の事を、かけがえの無い友人とすら思っていたつもりです」

神崎の冷たく光る瞳に、ようやく感情のような物が浮かぶ。それは痛々しいような、居たたまれない 感じがした。
胸の辺りで強く軋む音が響いた気がする。成る程これが『罪悪感』というものなのかもしれない、と ぼんやりと思った。
予想外の事態に、しかし驚きよりも苦い舌触りが残る。

「貴方の事を、大切に思っていたつもりでした」

貴方には伝わらなかったようですが。口角を歪ませた神崎は、そう呟き自嘲する。

「貴方を攻めるつもりは毛頭ありません―――――仕様の無い事なのでしょうね。私は、貴方に何を 伝えることもしなかった。どうすればいいのか、分かりませんでしたので……。貴方に私の好意の気 持ちを汲み取ってもらうにはどんな手段を取れば良いのか、私には思いつけませんでしたから。
貴方の事をもっと知りたいと思い近づけば貴方は作り物の笑顔を向け、内心ひどい嫌悪の念を滲ませ ているのがひしひしと感じ取れ、私にはただ木偶の坊の如く立ちすくむしか方法が分からず、そんな 私をみて貴方はなおさら私を嫌悪し………悪循環です」

僕は知らなかった。
こいつがあの嫌味な程の冷静沈着な無表情の内で、そんな事を考えていたなんて。
考えた事も無かった。

「ゲームの提案に賛成した理由は単純明快です。やっとこちらを向いてくださった貴方の提案を、今 まで私を正視してもくれませんでした貴方の初めての提案を、歓喜をもって受け入れこそすれ、どう して断る理由がありますか」

例え、どんなゲームであったとしても。

「やっと貴方と向き合えた、その好機を何故逃しますか」

ガキンと撃鉄を起こす音を響かせ、リボルバーが回転する。
神崎は僅かに口元を緩ませた。不器用な、だが嬉しそうな笑顔だった。

「もしこのゲームによって死ぬことになったとしても、私はけして貴方を恨むような真似はしません 。やっと近付けました―――――大切な、たった一人の人ですから」

引き金に、指をかける。

「目の前に貴方がいて、私だけを見ていてくれている。
………悪くない、死です」

そして神崎は、人差し指を。その引き金を。






―――――引いた。