「月は凍る。空中で凍て付き氷球となり我々を冷たく見下ろす。」
「……なんですか、藪から棒に。」
「凍った月というのは古来よりよく和歌に詠まれた題材だけれどね。ありふれていながら、見事 だろう? 素晴らしい例えだよ。」
「貴方がそういうなら、そうなんでしょう。」

僕は妥協の科白を口に出す。貴方が言うならきっと嘘も誠になりますよ―――言外に込められた 意味はそんな所だ。彼は見え透いた嘘を嫌う。御世辞を言うならこれ位が良い。

「ふん。君もよくやるもんだね。本当はちっともそんな風には思ってないんだろう!」
「そんな事はありませんよ。貴方の言う通り、月は凍りますし星は燃え立ちます。」
「流石に星は燃えないさ。」

彼の指摘は的を射ていた。確かに僕は月は凍るようには思えない。例えるなら寧ろ真珠だと思う のだが。花玉なんかは光沢があって丁度満月のような輝き方をする。色の感じも真珠に近い。

「先人の言う所には、寒い夜には涙で濡れた袖が寒気で凍りそこに月が映る事なんかもあるそう だ。これは凍る月とは直接の関係は無いがね。まったく日本人というのは想像力が貧困なのか豊 富なのか分からないな。」
「豊かな人間もいればそうでない人間なんかもいるんじゃないんですか。和歌にも定型どおりの 歌とそうでないのがありますし。四季や慶事の歌は似通ったのが多いですと思いますが、中には 他に類とみないような新鮮な歌も紛れています。」
「そうかい。君がそういうならそうなんだろうね。」
「趣旨返しですか?」
「こういうのもたまには面白いだろう。」

時々彼はよく分からない事をする。

「ああ、和歌といえば、先日よく分からない歌を見ました。春秋の優劣を競う、所謂御定まりの よくある話なんですが、その中に出てくる春を称える歌に、空の色を浅緑色だと言っているのが ありましたよ。どうも春の夜を褒めちぎっているようなんですが、しかし浅緑色の夜空というの はどういうものなんでしょうね?」
「単なる脚色じゃないのか? その歌はあれだろう、『あさみどり 花もひとつに 霞みつつ…… 』とかいうやつだろう。桜が浅緑色の空に滲んで薄桃色と交じり合うのが美しい、あれはなかな か傑作だと思うね。」
「そうですか。まぁあれも定型破りの歌の一種ではありますね。」
「……君は可愛くない事ばかり言うね。定型破り云々だけのものではないよ、和歌というのは。全 く、日本国産まれの矜持の無い男だな。」

可愛げは女性が身に付けて初めて価値を持つものであると僕は思うのだが。反論はせず口をつぐん だ。

「ふふ、ああ愉快だ! 今ぼくは君がいて良かったと心から思っているよ。」
「……そうですか。ええ、そうですね。」